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心を定めること

2012.06.05 Tuesday

あちらこちらから聞こえてくる祈りやマントラ、バジャンやキールタン、寺院や家庭から溢れる香の香りや炎の煌めき、インドで過ごす日常に溢れるその美しい神への捧げ物は、いつの時も神聖さを深め、精神性を育んでくれるように思います。

それが日本へ戻ると途端に、まるで別の世界に来てしまったかのようにぼやけていくことがあると、ある時スワミジに尋ねたことがありました。そしてスワミジが述べた言葉を今静かに思い出しています。

「真実において、全てのものは神の影に他ありません。私たちの求めるものは、神の求めるものであり、私たちの言葉は、神の言葉です。私たちは神を見つめているのにも関わらず、あちらこちらを探し回り、そして神の側に座しているのに、あなたはどこにいるのですか?と尋ねるのです。」

スワミジは続けます。「神を見るのは、祈りや儀式だけではありません。全ての瞬間に神とありなさい」と。

至高なものを信じ、そしてそこに心を定める行いは「シュラッダー」と言われ、ヨーガの行いの中でも欠かせない真智を得るための大切なステップの一つです。ヨーガ・スートラにおいても、バガヴァッド・ギーターにおいても、その堅信なしに始まるものは何もないと綴られていきます。

インドの不思議なほどに惹きこまれる神聖さと精神性に溢れる世界の中だけではなく、あらゆる場面で至高な存在を見失わず抱き続けることは、この生活の中でのまさに修業の一つのように思います。しかし、それは与えられた生を享受するための最もシンプルな術に他なく、その堅信から生まれる揺るがない強さは、聖典がそう伝えるように、どんな時も真実を与えてくれることに間違いはありません。

さ迷い出る心は変わらずあっても、定まるべく所を見つめ直しながら、インドの教えを噛みしめる日々が過ぎていきます。そして、インドに戻るまでに何を学ぶのか、そんな修業の毎日がここにあることに感謝をしながら今日も過ごしています。

(文章:ひるま)

神の言葉

2012.05.30 Wednesday

インドと日本を往復する暮らしは、まるで精神世界と物質世界を行き来する心の旅のように感じることがあります。その間で心は必要以上に様々なものを感じながらも、その動きを見つめることは、インドの深いスピリチュアルな教えを、そしてスワミジたちの言葉を一つ一つ実践していく、まさに修業の道のりです。

例えば、移動の多い生活が生み出す手放さなければならない何か、人々の優しさに触れながら暮らす日々の中の出会いと別れ、それらは極端に幸も不幸も、痛みも喜びも与え続けて止みません。物質世界の中へと入り込めば、欲望を満たすことが最も必要なことだと惑わせられ、この社会の中でどう成功し、どれだけ称賛を得るのか、そのことばかりに夢中にさせられることもあります。

何を感じ、何を思い、何を欲するのか。心の作用であるその全ては、あらゆる面から真実を曇らせていきます。しかし、その心を見つめる道中でもがきながら一生懸命に神の言葉を繰り返す時、実に多くの気づきに出会い、そしてそれこそが、自分自身を揺らぐことのない真実へと導いていくように感じてなりません。

「神の言葉を聞かぬ者は滅んでいく」あるスワミジは、バガヴァッド・ギーターのクリシュナ神の言葉を用いながら、そう静かに述べたことを今思い出します。スワミジは続けます。「心に支配された時、神の言葉は聞こえない。」と。心の動きを知ることは、神を知ることでもあるのだと、この時理解したことを覚えています。

インドでの暮らしの中で人々が繰り返し唱える神の名とそこに定まった心、そしてギーターの中でクリシュナ神が述べる「私はあなたを愛している」という言葉、その深い絆に見える真実は空間を越えてもしっかりと残り、美しい言葉として胸に響いているような気がします。そして、いつの時もその言葉を見失わなずに共にあること、それがこの道のりを行く最も大切な術なのだと、日本へ戻った今改めて実感しています。

バガヴァッド・ギーター18章58節
「私に心を定めなさい 私の恩寵で全ての困難が除かれる
もし、我執にまみれ私の言葉を聞かぬなら、その者は滅んでいく」

(文章:ひるま)

組織と悟り2

2012.05.30 Wednesday

グルといわれる人がいたとします。その方の元に弟子たちが集まり始め、やがて集団になり、戒律や序列等が生まれ、それが組織になっていきます。
この場合組織が大きくなればなるほど、本質から遠ざかっていると言えます。ハタヨーガを例にとれば、2~3人しか弟子がいなければ、グルの行うテクニックをきちんと近くでみてマスターすることができるでしょう。しかし3000人の弟子ならば、おそらく組織の序列なかで下位に当たる方は、きちんと見ることすらできない人が大多数になるでしょう。またグルから見ても全く目が届かないと思います。また、たとえ下位の方の中で抜群の霊的才能がある人や、悟りかけた人が現れたとしても組織のシステムゆえ、開花せず埋もれてしまうことも出てくるでしょう。

ハタヨーガのような肉体を使った技術だけに限らず、本質というものは、長年身近に接し、一緒に生活するような環境でないとなかなか伝わらないものだと私は思います。

本質を伝える場合、「なんとなく一緒にいる時間」が非常に大切だと、私はヨーガの師から学びました。
たとえハタヨーガのような技術を本質的な秘伝として伝えるものであっても、ベースにある共有した時間が非常に重要になるのだと思います。

そういう観点に立った場合、家族同士でさえきちんと理解し合うのは、大変であるのに、大きな組織にいて、身近に接することのできないグルのことをきちんと理解するのは、本質的には不可能に近いかもしれません。ましてやグルに会うのは、月に何度とか、あるいはグルが海外にいるため年に何度か、という場合などは、本質を得るのはかなり難しいと思ったほうがいいでしょう。

グルの立場から見ても、今まで上(神)を見ていたものが、下(たくさんの弟子達)をみなければならない状況に変わるわけです。
グル自身のさらなる成長という観点から見ても大きな組織というものは(霊的な意味において)負担になるのだと思います。
(グルは悟っており、これ以上向上のしようのない最高位におられる、という考え方は素晴らしいと思います。しかし本当の意味でのヨーガ行者などは最高位に至ってもさらにその上があると感じ探求を続けるものです。)

このように、書いてきますと、たとえば遠く離れた多くの信奉者を抱えるインドの聖者をグルとして信奉されている方々は失望されるかもしれません。
しかし、一見たくさんの人々があつまる組織のように見えて、実は組織ではない場合もあります。

ラーマクリシュナやラーマナ・マハリシの元にはたくさんの人たちが集まりましたが、彼らは「組織の長」ではありませんでした。

現代の聖者にもそういう方がおられると思いますが、「組織ではない」人々の集まりのため、グル自身が経営にかかわらず、悟後の修行に専念できる、
そしてさらに本質に触れたい人は「グル実際に接する機会がある」という形は、霊的な意味において非常に重要だと私は考えます。

(次回も続きます)

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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バガヴァッド・ギーター第4章第42節

2012.05.20 Sunday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

तस्माद् अज्ञानसंभूतं
tasmād ajñānasaṁbhūtaṁ
タスマード アジュニャーナサンブータン
それ故に、無知から生じた


tasmāt【男性・単数・従格、指示代名詞 tad】それ故に、そのために、したがって、だから、その結果
ajñāna【中性】無知、不注意;無智
saṁbhūtaṁ【男性・単数・対格 saṁbhūta】(従格、―゜)から起こった、~から生じた;(―゜)で形成された、造られた、~から出た

हृत्स्थं ज्ञानासिना ऽत्मनः ।
hṛtsthaṁ jñānāsinā 'tmanaḥ |
フリスタン ジュニャーナーシナー トマナハ
自己の心にある(疑惑を)、知識の剣によって


hṛd【中性】(とくに情緒および心的活動の座としての)心臓;(身体)の内部、胸、胃
stham【男性・単数・対格 stha】立っている、存在している、ある;に専念した、に従事した、~を実践する
→hṛtstham【男性・単数・対格】心にある、心に存在する
jñāna【中性】知ること;知識;真の知識、優れた知識;知恵;企図;仮定;意識;感覚器官
asinā【男性・単数・具格 asi】[~によって、~をもって]剣、刀
→jñānāsinā【男性・単数・具格、限定複合語】[~によって、~をもって]知識の剣
ātmanas【男性・単数・属格 ātman】[~の、~にとって]気息;霊魂;生命、自身;本質、本性;特色;身体;知性、悟性;我、最高我

छित्त्वैनं संशयं योगम्
chittvainaṁ saṁśayaṁ yogam
チットヴァイナン サンシャヤン ヨーガム
この疑惑を断ち切り、ヨーガに


chittvā【絶対分詞 √chid】[~して、~してから]切る、切り落とす、切り倒す;裂き取る、咬み切る;引き離す、断つ;刺し通す;傷つく;分かつ;遮る;砕く、破壊する、撤去する
enam【男性・単数・対格、指示代名詞 idam, etadの附帯形】[~に、~を]これ、それ
saṁśayam【男性・単数・対格 saṁśaya】[~に、~を]~に関する疑い、疑わしさ、不確実さ、懸念、ためらい;疑わしい事柄;~に対する危険、冒険
yogam【男性・単数・対格 yoga】[~に、~を]ヨーガ、精神の集中、組織的な超脱法、瞑想、静慮、心統一

आतिष्ठोत्तिष्ठ भारत ॥
ātiṣṭhottiṣṭha bhārata ||
アーティシュトーッティシュタ バーラタ
挺身せよ。立ち上がれ、アルジュナよ


ātiṣṭha【二称・単数・パラスマイパダ・命令法 ā√sthā】[あなたは~せよ](処格)の上に立つ;(対格)に昇る・登る;(靴を)はく;に赴く・行く;(一連の行動を)開始する、に頼る、従う、(規則を)遵守する、(手段を)用いる、(努力を)する;確認する、真実と考える
uttiṣṭha【二人称・単数・パラスマイパダ・命令法 ud√sthā】[あなたは~せよ]立ち上がる、起き上がる、起きる;昇る
bhārata【男性・単数・呼格 bhārata】[~よ]バラタの子孫。ここではアルジュナのことを指す。

तस्मादज्ञानसंभूतं हृत्स्थं ज्ञानासिनाऽत्मनः ।
छित्त्वैनं संशयं योगमातिष्ठोत्तिष्ठ भारत ॥४२॥

tasmādajñānasaṁbhūtaṁ hṛtsthaṁ jñānāsinā'tmanaḥ |
chittvainaṁ saṁśayaṁ yogamātiṣṭhottiṣṭha bhārata ||42||
それ故、無知から生じ、自己の心に宿るこの疑惑を、
知識の剣によって断ち切り、ヨーガに身を捧げよ。立ち上がれ、アルジュナ。

バガヴァッド・ギーター第4章第41節

2012.05.19 Saturday

योगसंन्यस्तकर्माणं
yogasaṁnyastakarmāṇaṁ
ヨーガサンニャスタカルマーナン
ヨーガにより行為を放擲し


yoga【男性】ヨーガ、精神の集中、組織的な超脱法、瞑想、静慮、心統一
saṁnyasta【過去受動分詞 saṃ-ni-√as】投げ捨てられた、放棄された、廃された、捨てられた、見棄てられた;野営した;預けられた、まかせられた、引き渡された
karmāṇam【男性・単数・対格 karman】[~に、~を]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業
→yogasaṁnyastakarmāṇam【中性・単数・対格、所有複合語】[~に、~を]ヨーガにより行為を放擲したもの

ज्ञानसंछिन्नसंशयम् ।
jñānasaṁchinnasaṁśayam |
ジュニャーナサンチンナサンシャヤム
知識により疑惑を断ち


jñāna【中性】知ること;知識;真の知識、優れた知識;知恵;企図;仮定;意識;感覚器官
saṁchinna【過去受動分詞 saṃ-√chid】断ち切られた、引き裂かれた;分離された
saṁśayam【男性・単数・対格 saṁśaya】[~に、~を]~に関する疑い、疑わしさ、不確実さ、懸念、ためらい;疑わしい事柄;~に対する危険、冒険
→jñānasaṁcinnasaṁśayam【男性・単数・対格、所有複合語】[~に、~を]知識により疑惑を断ったもの

आत्मवन्तं न कर्माणि
ātmavantaṁ na karmāṇi
アートマヴァンタン ナ カルマーニ
自制する者を、諸行為は(束縛し)ない


ātmavantam【男性・単数・対格 ātmavat】[~に、~を]生命ある;自制できる;親切な、敏感な;個人的の;落ち着いた、冷静な、分別がある
na【否定辞】~でない
karmāṇi【中性・複数・対格 karman】[~らに、~らを]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業

निबध्नन्ति धनंजय ॥
nibadhnanti dhanaṁjaya ||
ニバドゥナンティ ダナンジャヤ
それらは束縛し(ない)、アルジュナよ


nibadhnanti【三人称・複数・パラスマイパダ・現在 ni√bandh】[彼らは~、それらは~](処格)に縛る、しっかり締める、(処格)に糸を張る;自身に固定する;捕らえる;獲る;接合する;中止する;抑止する、抑制する、禁固する
dhanaṁjaya【男性・単数・呼格 dhanaṁjaya】[~よ]ダナンジャヤ(アルジュナの別名)。名前は「富の征服者」の意。

योगसंन्यस्तकर्माणं ज्ञानसंछिन्नसंशयम् ।
आत्मवन्तं न कर्माणि निबध्नन्ति धनंजय ॥४१॥

yogasaṁnyastakarmāṇaṁ jñānasaṁchinnasaṁśayam |
ātmavantaṁ na karmāṇi nibadhnanti dhanaṁjaya ||41||
ヨーガにより行為を放擲し、知識により疑惑を断ち、
自己を制する者を、諸行為は束縛しない、アルジュナよ。
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