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真実に出会う時

2012.09.24 Monday

象の顔に大きなお腹、手には甘いお菓子、その愛らしい姿ゆえ、ガネーシャ神はどんな時も人々を惹きつけてやみません。神聖な存在でありながら、容易く触れることができるような雰囲気をこの象の姿をした神様は醸し出しているように思います。しかしそれは、ガネーシャ神に限ったことではありません。

インドで過ごす日々は、常に神と共にある日々です。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、頭で考えるもの、そのすべてに神聖な存在を感じます。神と言うまるでかけ離れたもののように感じる存在も、インドでは、いつもすぐ隣にいるような温かい感覚に包まれるのです。

色鮮やかに、豪華さも優しさも、時には恐ろしささえもありのままに描かれるインドの神たちは、様々な象徴を表しながら多様に存在しています。それは、私たちの持つありとあらゆる特性を事細やかに示しているかのようであり、神を見つめ瞑想することは、自分自身と向き合う大切な術の一つであるとそう実感していました。

神に心を定めることは、究極の瞑想に変わりありません。さまざまなものを見聞きし考える生活の中で、遠い昔から崇められ神聖化されてきたその存在に心が留まる時、そしてそれが言葉を失うほどに惹き込まれた時、そこには不思議な空間が生じていることに気づいたことがありました。心を惹きつける姿形を持った神聖な存在は、どんなに短い瞬間であっても、あらゆる思考が完全に停止した静寂を生みだすのだと感じたことを覚えています。

「目には見えず、しかし目が見ることを可能にしているもの―それが宇宙原理である」ケナ・ウパニシャッドはそう述べています。神と称される偉大な存在が多様に描かれ、あらゆるところに溢れるインドの生活においては、その姿形を目にする自分が、その存在との一体を通して、無条件で永遠の存在を確認するように思います。

神の姿は自分自身をありのままに映し出しています。そんな神の存在を目撃し自分と言う存在を見つめる時、その間に生じる静寂の中で、真実を経験するに違いありません。インドにはその瞬間が、いつの時も溢れているのです。

(文章:ひるま)

クンダリニー・ヨーガの重要性について1

2012.09.24 Monday

一口にクンダリニー・ヨーガといっても、ハタ・ヨーガ同様、様々なやり方が存在します。
ハタ・ヨーガ以上にそれぞれのやり方の違いが大きいのも特徴です。
これは古来より、きちんとした形で、クンダリニーの覚醒に成功した行者が非常に少なく、そのためその数少ない行者のやり方を弟子達が金科玉条のごとく守った結果そういうことになったのだと思います。

私のところでは、クンダリーを目覚めさせるということより、目覚めても大丈夫な心身をつくるということに、重点を置いています。
これはもちろん私独自の考えというわけではなく、ヨーガの師より18年の時間をかけて教えていただいた行法なのですが、私自身はこのクンダリニー技法を実践することにより、心身の状態が非常に良くなった経験を持っています。

実はクンダリニーは、事故やちょっとしたきっかけで、わりと簡単なきっかけで目覚めてしまうものだと、私は思います。
もちろん100%ということではなく、クンダリニーの一部が目覚めて、漏れ出してくるということです。
しかしその程度の状況でも、体の準備が出来ていないと、心身に障害をもたらすことが往々にしてあります。

私のところにいらして下さった方々の中にも、一目拝見して、クンダリニーの一部が目覚めてそれが障害をもたらしていると思われる方が、わずかですがおられました。

そのような方にお会いした時には、私はクンダリニーヨーガをお勧めすることにしています。
クンダリニーヨーガをやることにより、徐々に制御できるようになっていくのです。

今考えると私自身も、ヨーガを学び始める前にクンダリリーの一部が何かのきっかけで動き出して、わずかながら心身に障害をもたらしていたのかもしれません。
ヨーガを始めて数年経ったころ、師匠筋にあたる女性に「○○君(私のこと)、ヨーガに来たばかりのころは、エネルギーが漏れ出してたからね。今は見事によく制御できるようになったね。」と言われた経験があります。

制御することを重要視したクンダリニーヨーガを実践することにより、心身の調子が良くなったのは、当然と言えば当然なのかもしれません。

次号も続きます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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ガネーシャ降誕祭

2012.09.17 Monday

2012年9月19日は、障害を取り除き、不正な性質を正す神さまとして知られるガネーシャ神の降誕祭(ガネーシャ・チャトゥルティ)です。

インドの霊的指導者であり、シヴァーナンダ・ヨーガで知られるスワミ・シヴァーナンダ氏は、解脱にいたるためのもっともシンプルな方法として、次の3つの方法を挙げています[1]。

1.否定的で不道徳な性質を取り去り、肯定的で霊的な性質を養うこと。
2.あらゆる活動の最中に、常に神のことを思うこと。
3.すべての活動を、神のおみ足に捧げること。

否定的で不道徳な性質には、さまざまなものがありますが、聖ラーマクリシュナの霊性のパートナーであるサーラダー・デーヴィーは、この性質の一例として、他人の欠点を見ることを挙げて、次のように述べています。

「愛しい子よ、他人の欠点を見るのは止めなさい。人生はとても短いもので、自身の欠点を取り除くにも十分な時間はありません。自身の内面を見つめ、悪い性質を省みれば、とても多くの欠点に気がつき、それだけで時間がなくなってしまいます。人生のすべての時間を費やしても、私たち自身の欠点を取り除くのに十分ではありません。あなた自身の家の掃除を始めずに、他人の欠点を拾い集めるならば、あなたは何も変わることはないでしょう。」

では、このような性質を取り除くためには、どのような方法があるでしょうか。サーラダー・デーヴィーは次のような祈りを提案しています。

「神よ、私は他人の欠点に目がいってしまいました。今までは、それが自身の性格に染みついていたため、障壁の原因となっていることに気がつきませんでした。私は、この習慣を改めて、神聖な性質を身につけます。今日から、誰の欠点も見ないようにします。私は、自身の崇高な目標から、心をそらさないようにします。私は古くから心に染みついたこの習慣を改めます。今後は、このような過ちを犯すことはありません。霊的な成長を阻害するマーヤー(幻力)に、私は心を許しません。神よ、どうかこのための力をお授けください。」

ガネーシャは、障害を取り除き、不正な性質を正す神さまとして知られています。そのため、このような悪習や不道徳な性質を取り除くために、大きな力を貸してくれる神さまとなります。

ガネーシャ・チャトゥルティは、新たなものごとの始まりに、願を立てて祈りを捧げるのに最適な吉日です。高い志をもって祈りを捧げれば、ガネーシャ神は、きっと祝福してくれるでしょう。

ガネーシャ・チャトゥルティの吉日、ガネーシャ神があらゆる障害を取り除く助けとなって、皆さまがより良い人生を歩めますように、心よりお祈り申し上げます。

参考
[1]Sri Swami Chidananda, "A Good Beginning", http://www.dlshq.org/religions/ganeshchatur.htm

神様はどこに

2012.09.17 Monday

ヨーガとは、自分自身を浄化する行いであると深く理解しています。そして行き着く先がどんなに崇高なものであるのか、一瞬一瞬に垣間見える純粋で美しい瞬間がそれを物語るように思います。

そんなヨーガの教えを実行する中で、常に向き合い続けるものが神の存在です。神を求め、神を理解し、神と出会うために、ただひたすらに教えに従い行いを続ける中、それでも見えずにもがく時、ある話を聞かされたことがありました。

「神はどこにいるのか」その問いを答えるインドに広く伝わる興味深い話です。

ある時、王が師に尋ねます。「神は、どこにいますか?なぜ、私には神が見えないのですか?」師は王に1杯の牛乳を求め、それから牛乳をかき回し、純化し、ギー(精製されたバター)にするよう頼みます。出来上がったギーを前に、師は王に尋ねました。「ギーはどこにありましたか?」王は答えます。「牛乳の中です。」師はまた尋ねます。「牛乳のどの部分にありましたか?」王は答えました。「牛乳の全てです」師は言います。「同じことです。神はすべてのものに遍在し、すべてのものに広がっています。」そして王は尋ねます。「ではなぜ私には神が見えないのですか?」師は言いました。「あなたの心が純化されていないからです。」と。

座法や呼吸法、瞑想だけでなく、愛や喜び、正や善に満ちた心を養うこと、そのあらゆるヨーガの行いは、さまざまに自分自身を浄化し、そして純化してゆきます。真実に従いその行いを努める時、そして良い面も悪い面も、攪拌するように自分自身をふるいにかけることは、真の存在を確認させ、最も大切なものを突き付けます。

ひたすらに攪拌しなければバターが生まれないように、さまざまに幻想を生みだす強い自我に包まれた自分から、真実である神の姿を見出すには、時に大変な苦行が必要となることがあります。しかし、その過程でふと平安の中に佇み言葉にならないほどの至福に包まれる瞬間が、苦行さえも喜ばしいものとさせるのです。

自分自身に満ちるものとは何なのか。私たちが理解すべくことはただ一つ、自分自身の真の姿、その神の存在に他にありません。王が師の最後の言葉を耳にし、感じたであろう衝動の意味を抱きながら今日もヨーガの行いを努めています。

(文章:ひるま)

サソリのアーサナ

2012.09.10 Monday

アーサナを通しての学びは、私にとってまるで未知の世界へと足を踏み入れるように深く、そして驚きに満ちているものです。高度なアーサナと言われるサソリのアーサナもまさにその一つでした。

ある時、サソリにまつわる良く知られた物語を交えながら、人間の持つ性(さが)について師が説明をくれたことがあります。

「川を渡りたいサソリは泳ぎのうまいカエルに、背に乗せ渡らせてくれと頼みます。『君は僕を刺すに違いない』とカエルは拒むも、『君を刺せば僕も一緒に溺れ死ぬ』と答えたサソリの言葉を信じ、カエルはサソリを背に乗せ川を渡り始めます。川の真ん中へ来た時、サソリはカエルを刺しました。沈みながらカエルは理由を尋ねます。そしてサソリは言いました。『それは僕の性だから』と。」

変えようと試みても変えられぬもの。人の心の働きや動き、心の持ち方から生じる性質。私たちは日々経験するものの中で、さまざまに自分自身を形作り、そしていつしか限界を定め、これが自分であると世界を小さく狭めていきます。それは自らが作り出す束縛であるのかもしれません。

積もり積もった自分という層の中に意識的に入り込んでいくヨーガの行いの中で、そしてそれが自分自身の肉体を通すとなるとき、徹底的な浄化が始まります。

サソリのアーサナで、腕で立ち後屈をしながら足先が頭に到達することは、毒を出すサソリの尾が自身の頭を刺すことを意味します。自らの毒で自らの思考を貫く時、その完全な浄化の中で、自身の性と自我は静かに消えていきます。それがサソリのアーサナを通じ達成されるべくものだと、ある師は淡々と語ってくれました。

少しでも疑いや躊躇い、恐怖や不安といった思考を抱く時、強さや柔軟性は痛みとなって現れ、そして集中力を失いバランスを欠き崩れていくように、自らを阻んでいきます。人に限界を生みだすものは、思考に覆われた性であり、そして自我である自分自身に他ないのだとそう気づかされたことを思い出します。その覆いを剥がしながら自らを解放し真の姿へと向かう術、それがヨーガなのかもしれません。

変えられないものなど何もないということ、限界も何もかも、自らが生み出す幻想に他ないのだと気づかされ、今思えば、ヨーガで踏み入る世界は未知でも驚きでもない、真の世界なのだと、だからここまで私の心を奪っていくのだと強く感じています。

(文章:ひるま)
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