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ナヴァラートリ祭

2012.10.15 Monday

ナヴァラートリとは、ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティー女神をお奉りするヒンドゥー教の三大祭典のひとつです。「ナヴァ」はサンスクリット語で9をあらわし、「ラートリ」は夜を意味します。したがって、ナヴァラートリとは、9日間の夜となります。この祭典は、春と秋の年2回、9日間にわたって行われます。ヒンドゥー教のカレンダーでは、月齢にしたがっているために毎年開催時期が多少前後しますが、今年は10月16日から10月23日まで行われます。

ナヴァラートリの9日間は、礼拝する神さまに応じて、3日間ずつに分けられます。はじめの3日間は、わたしたちの心の中に潜む不純物や悪徳、欠点を破壊するため、強力な戦士でもあるドゥルガー女神を礼拝します。次の3日間は、すべての帰依者に尽きることのない富と幸福を授けるといわれるラクシュミー女神を礼拝します。そして、最後の3日間は、創造主ブラフマーの妻であり、学問と芸術、そして叡智を授ける女神であるサラスワティー女神を礼拝します。わたしたちは人生のさまざまな局面で、神々からの祝福を求めて、3つの側面をもつそれぞれの女神さまにお祈りを捧げます。そのために、この祭典には9日間が費やされます。

ナヴァラートリの期間中、真摯な帰依者の中には、断食をしながら、健康や繁栄を願って祈りを捧げる人々もいます。じぶん自身の日々の生活を見つめ直して、人生の向上につながる新しい習慣をはじめるには、昔からナヴァラートリはこの上ない吉祥の日であるといわれています。

10月24日に行われるナヴァラートリの第10日目は、ダシャラー(Dussehra)と呼ばれる吉日です。この日には、ラーヴァナという悪魔をかたどった像が燃やされ、ラーマに主導される善の勢力が、悪に打ち勝った日として盛大に祝われます。

ナヴァラートリは、自身の内面に潜む不浄な傾向を克服するために、非常に重要な期間とされています。この神聖な期間を活かして、かつてラーマが悪鬼ラーヴァナに勝利したように、わたしたちの内面に潜む悪魔を討ち滅ぼすことができるよう日々を過ごされてみるとよいでしょう。

参照
[1] "Navaratri" from Wikipedia, Free encyclopedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Navratri

※文化や慣習によってインドでは暦に少しずつ差が生じ、今年2012年は、グジャラート州とマハーラーシュトラ州では3日目と4日目が同じ日に、北インドや他地域におきましては、4日目と5日目が同じ日となります。ティティ(インドやチベットにおける時間の単位)が現行の太陽暦において同じ日に生じるためとされています。このため、数えでは8日間となっています。

9日間の夜に

2012.10.15 Monday

3女神に3日間ずつ捧げられる神聖な期間として訪れるナヴァラートリは、新月の次の日より始まります。陽が短くなり、月さえも失った夜が支配を始める頃、私たちは改めて、この俗世の中で迷い見失いつつある神の存在、その光がしっかりと自身の内に灯っていることに気づかねばなりません。この季節の移り変わりの中で、ナヴァラートリは自分自身を深く見つめ直す探求、ヴィチャーラへと人々の心を向かわせます。

自己の探求と呼ばれるこのアートマ・ヴィチャーラはインドの精神世界において何よりも大切なものとして位置付けられています。インドで数ある祝祭の中でも、このナヴァラートリの期間にとりわけ惹かれるのは、自分自身を最も大切なもののもとへと引き戻す貴重な時のように感じていたからだと思い返します。

ナヴァラートリに際し、この世界の中で自身の存在と共に生きる在り方を、バガヴァッド・ギーターの美しい詩句に重ねています。

知識によって 肉体をまとった魂が 
あらゆる行いから無執着であれば
それは九門の町に 幸せに安住する
行いをすることも させることもなく
(バガヴァッド・ギーター5章13節)

九門の町とは、肉体を意味します。あらゆる敵は、この九門から私たちの身体へと入り込み、人の意識を支配するのだといいます。九門とは2つの目、2つの耳、2つの鼻の穴、口、肛門と生殖孔、この9つの入り口、つまり感覚です。

3女神に捧げられるこの9日間は、断食や祈りなどが欠かすことができません。感覚を統制し、3女神の持つ象徴を見つめるこの時こそが、精神的な歩みを取り直す大切な時であったように思います。

クリシュナ神は述べます。

好きなものにみる喜びの後には 必ず苦しみが生ずる
始まりがあり 終わりのあるこの感覚的な快楽に
賢者は決して近づかず その快楽を喜ばない
(バガヴァッド・ギーター5章22節)

感覚ではない自身の存在の喜びと共にある時、人はその決して変わることのない至福を永遠に味わうことができるのだと、幸せに安住することの意味を気づかされます。私たちが常に気づいているべくその真実を、移り変わる季節が女神たちを通じ教えてくれているように思います。

このナヴァラートリが皆さまにとっても良き日となりますよう心からお祈りしております。

(文章:ひるま)

静寂

2012.10.08 Monday

ヨーガを通じシンプルな生活を過ごすようになってからの大きな変化と言えば、ささやかでいて控え目な物事に心が惹かれるようになったことだと強く思います。こうした季節の移り変わりの中で、肌に触れる風を感じ、目に映る景色をじっと眺め、自然の中に溢れる小さな音に耳を澄ます時、不思議とこの上ない至福を感じるのです。

ヨーガの行いに集中し、様々な方面からの浄化と純化を繰り返す間、そういった何気ない小さな物事に深く惹かれ魅力を感じるようになったのは、それが、あまりにかすかにしか自身の内に響かないものであるからだと、感じたことがあります。

シンプルな物事と自分自身との間で生じるもの。それは、シンプルな物事と自分自身との間で残るものであるのかもしれません。それが何かと言えば、きっと「存在の喜び」であるのだと今感じています。

さまざまに溢れる物や形、名前というものは人々の意識に強烈に印象を残してゆきます。そしてそれらが思考の中に入り込み様々なうねりを引き起こすこの社会の中で、人は常に、何かに追われるように動き続けねばなりません。

ささやかであったり、小さなものであったり、そういった物事に感覚を預けることは、意識に与える強烈な印象を鎮め、忙しく動いていた思考を落ち着かせていきます。その、自身の内に深い影響を与えない状況の中で生じるもの(残るもの)こそが、自分自身の存在の喜びである「サット・チット・アーナンダ」なのだと、静寂の中で感じるように思います。

永遠に変化することのない喜び、その至福を感じる空間を自分自身の内に与えてくれるささやかでいてとても小さな物事に強く惹かれ心を奪われていく時、そこに形がないように、形容しがたいほどの平安を確かに見つけるのです。ヨーガが静寂や沈黙を重視するのは、その境地へと確実に人々を導くために違いありません。

そして私は今日もただ、この内なる偉大な存在の喜びを見つけに、そっと座り目を閉じる瞬間を心待ちにしています。

(文章:ひるま)

クンダリニー・ヨーガの重要性について2

2012.10.08 Monday

私のところでやっているクンダリニーヨーガは、師に学んだ方法を忠実に受けついでいます。
私自身も、もう18年ほど、一日も休まず修練しています。

この私のところのクンダリニーヨーガには、たくさん技法があるのですが、基礎としては腰の回転とムーラバンダ(肛門の締め付け)を重要視しています。

腰の回転は、腰を繊細に回すことを実践するのですが、正しく回すのは相当難度が高い技法です。

またムーラバンダに関しては以前「コラム上ヨーガ講座・ムーラバンダ」でご紹介させていただいたのですが、420万回の回数を積むことを目標にしています。
もちろん回数をこなすことも重要ですが、繊細に実践するということも非常に重要になります。

よくお見受けするのですが、ムーラバンダの修行を相当積んできたという方であっても、実際は、ほとんどムーラバンダがかかっていないということがあります。

これは、腹部や上半身の力を使って締めており、実際は肛門はほとんど締まっていないのです。

それをご指摘申し上げると、衝撃を受かられる方もおられるのですが、これは大抵の場合その人に責任があるわけでなく、指導者の問題であることが多いのかもしれません。

しかしその指導者はまた同じ技法を、その指導者の指導者に教わってきたのですから、結局責任?の所在は明確ではないのですが、いずれにせよ、ムーラバンダに限らず、技法を繊細に観察して掘り下げるべき重要性に、気付きます。

特にハタヨーガ、クンダリニーヨーガには繊細さが求められます。

よくクンダリニーが準備が出来ていない状態で中途半端に目覚め、体内に留まり心身の障害に苦しむ話を聞きますが、繊細な観察力があり、普段から繊細に技法を実践することにより、体内に残ったエネルギーを抜くことができる個所がたくさんあることに気付くことができます。

クンダリニーヨーガはハタヨーガと同じく、霊性面・健康面ともに卓効がありますが、クンダリニーの一部が動き出したのが原因で不調に悩む方には特に効果が高いのだと思います。

クンダリニーヨーガは非常に重要だと思います。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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目には見えないもの

2012.10.02 Tuesday


「目には見えず、しかし目が見ることを可能にしているもの―それが宇宙原理ブラフマンであり、この世で人々が崇拝しているものではないことを知りなさい。」(ケーナ・ウパニシャッド)

その深い哲学を理解する中で、ある師と弟子の対話を鮮明に思い出します。師が「光」について、弟子に質問を投げかける対話です。

「何の光で、あなたはものを見ますか?」
「日中の太陽、夜のランプです。」
「何の光で、その灯りを見るのですか?」
「目です。」
「何の光で、その目を見るのですか?」
「心です。」
「何の光で、その心を知るのですか?」
「私自身です。」
「あなたがその光なのですね。」
「…はい、私がその光です。」

その対話は、ウパニシャッドが述べる深い哲学を優しく説き明かし、そして胸に突き刺さるほどにはっと気づきを与えたことを思い返します。目には見えないものでありながら、それなしに見ることはできないもの、それは自分自身の他にありません。

何の命令によって、この心は動くのか。何の意志によって、この命は生きるのか。見えるもの、聞こえるもの、発せられる言葉や生み出される思考、そういったあらゆる現象は自分自身の存在をなくして経験することはできません。だからこそ、インドの叡智は伝えています。感覚を制御し現象世界を超えていく時、自分という光、その大いなる存在に気づくのだと。

そして、ヨーガの行いに全てを捧げる時、その意味を痛いほどに実感するのです。自分自身の存在が世界のあらゆる事象の根源であり、すべてを司る神に他ないことを人はこの生で気づかねばならないのだと、そう感じさせられます。その至福はどんなものにも代えがたいものです。

人は望むほどに、神を見ることはできないのかもしれません。なぜなら、自分自身の目が神に他ないからです。神の言葉を聞くことも同じです。発せられる言葉も、その言葉を聞く自らの耳も、神に他ないからです。ただその存在に気づくこと、それが唯一の神を見る術なのだと、そしてその術をインドの叡智が今日も静かに示し続けています。

(文章:ひるま)
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