カレンダー

<< July 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031
  

カテゴリー

コメント

記事一覧

Feed

クンブメーラーとベンガル探訪・女神篇

2013.03.11 Monday

今回訪れたある街に女神のお寺がありました。しかも一つの街に同じ名前の女神を祀る2つの寺院があるのです。
そう書くと、少し詳しい方はすぐどこの街か、どんな女神かすぐにわかってしまうと思いますが、まぁよろしければ心の中に伏せておいてください。

一つ目の寺では、本来はその時間帯に女神様の参拝はできないはずなのに、幸運が重なり、女神様のお顔を拝見することができました。
さらにプラサード(神饌)までいただけたのです。
女神様は威厳にみちたそのお姿とは裏腹に、慈愛に満ちた波動を発しておられました。

インドの神像は魂を入れてあり(プラーナ・プラティシュタ)、実際に生きておられるとされています。
母性にみちたのそのプラーナ(生命エネルギー)を全身に浴びて至福に包まれました。

もう一つの寺に行ったのですが、神域に入った瞬間、私は違和感を感じました。。
そしてそれは単なる気のせいではないと思いました。

寺院の中はある種の波動に満ちており、私自身はその波動をあまり合わないと感じました。
結局、私は折角の機会でありながら、ご本尊を見ることなく寺をさりました。

2つ目の寺は、おそらくヤギなどの生贄をささげる習慣がある(あるいは昔あった)のかもしれません。

そして20年以上一切肉や魚を食べていない、私はその儀式の際の波残留波動を感じたのかもしれません。

ヤギなどを神への生贄に捧げることは、今でも世界のかなりの地域で行われています。

しかしヴェジタリアンが多く、それ以外の人も普段肉をほとんど食べないインドにおいてそのように生贄として捧げられる動物の数は、欧米や日本などで殺され食肉にされる動物の数とは比べ物にならないほど少ないでしょう。
ですから、それが必ずしも残酷な行為とは言えません。

またそういう生贄をささげる神様の現世的なご利益は、非常に大きいとも聞いたことがあります。

話を本筋に戻しますが、日本の神道においてても、たとえば稲荷神などは、同じ名前で祀られていても、個々の神社で神格にはかなり違いがあると聞きます。
同じ名前の神様でも違いがあるということは、違う名前の神様はもっと違った要素を持つということになります。それらが集まっているのですから、多様になり混沌とした体をなしてくるのは当然でしょう。

インドのヒンドゥー教や、日本の神道などのように、一神教ではなく、アメニズムにその由来をもつ多神教にはその性格上、こうした混沌ととした多様性を良く見かけます。
そしてそれは、その文化の魅力でもあるのです。

やはりインドも様々な、混沌とした様々な要素が混じってインドとなっているのだな、今回2柱の女神様の寺院を訪ねて、改めてそう感じました。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

マハー・シヴァラートリー

2013.03.04 Monday

2013年3月10日(日)(日本時間では3月11日)は、マハー・シヴァラートリーの祭日です。

シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。

この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。シヴァラートリーは、月が満月から新月へと変化する境目です。充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリーの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。

シヴァラートリーの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。

シヴァラートリーの日には、さまざまな言い伝えが残されています。

この日、シヴァ神はパールヴァティー女神と結婚をしたと言われています。シヴァとシャクティとの永遠の合一である非常に吉兆な日です。シヴァ神はエネルギーの原始であり、シャクティと共に創造者として、そしてマハーカーラとしては破壊者でもあります。

またシヴァ神が保護と維持、そして破壊のダンス「タンダヴァの踊り」を舞い、宇宙を創造したのも、この日であると言われています。

猛毒ハーラーハラが世界を焼き尽くそうとしたとき、神々の願いに応え、シヴァ神はハーラーハラの猛毒を飲みほし、世界を救いました。ハーラーハラは、シヴァ神にとっても強大な猛毒であったため、シヴァ神の首が猛毒で青くなり、このためにシヴァ神は、ニーラカンタ(ニーラ[青]カンタ[首])と呼ばれるようになった話は有名です。

シヴァ神にはさまざまな特性があり、マハーヨーギーとして、チャンドラシェーカラとして、ガンジス河の始まりとして、そして彼こそがこの宇宙のタントラ(テクニック)を理解する唯一のアゴーラ(シヴァの別名)でもあるとして知られています。彼は、マハーデーヴァなのです。

深い献身と共に、このマハー・シヴァラートリーの夜にマハーデーヴァを崇拝する信者たちに、シヴァ神はその至福から信者たちが望む結果を与えます。従って、あらゆる面での障害や苦難を取り除くため、この吉兆な夜に、人々は信心深くシヴァ神を崇拝するべきだと言われています。

多くの人々はこの日、早朝に体を清め、シヴァ神に心を定め一日を過ごします。断食を行う人々も少なくありません。未婚の女性たちはシヴァ神のような夫を授けられるよう、また既婚の女性たちは夫の健康と至福を願い、断食を行います。人々は夜にはシヴァ神を祀る寺院を訪れ、夜通しで賛歌を捧げ、祈り、シヴァ神を讃え瞑想します。家庭においても、夜には家族が集まりシヴァ神を讃えるプージャーが執り行われます。

この最も吉兆な夜が、皆さまにとっても祝福に満ちたものとなりますようお祈りしております。

清浄な行い

2013.03.04 Monday

ここでのヨーガの行いは日々続いています。朝目を覚まし、そして眠りにつくまで、一瞬たりとも疎かにすることなく行いを努めることは、それらが日々を美しく生きるための術として存在しているかのように、多くの気づきを与え、至福をもたらしてくれるように感じます。そしてそこから生み出される清らかな流れは、確実に、日々をより良いものへと変えていきます。

例えば体や髪を洗い流すこと、歯を磨くこと、爪を切ること、それらは日々の生活の中で誰もが当然のごとく努める行いです。そして自分自身を清潔に保つことは、社会生活においてすべきことの一つとして、ヨーガの経典に記されるヨーガの八支則でも「サウチャ=清浄」として述べられています。しかしそれは、体や髪を洗い流すことだけではありません。

愛情の込められた食事をとり、適度な運動などをし、休息をとり、肉体をより良い状態に保つことも、このサウチャに当てはまります。至高者が宿る場としてのこの肉体は神殿でもあり、日々プラサーダが捧げられ、掃除がなされ、礼拝が行われるその場と、何一つ変わることはありません。

ヨーガを通じ、至高者との一体である繋がりを求める中では、その繋がりを阻害する感覚が生み出す様々な現象を見つめることも修行の一つです。それらを思うと、例えば口にするものも、舌が感じる美味しさだけではなく、至高者が宿る肉体により愛情と栄養の入ったものを捧げたくなるように感じるのです。質素なものであっても、それはどんなものよりも深い至福を感じさせてくれるように思います。

それらは純化とも捉えられるかもしれません。崇高者が宿るこの場においては、口から出る言葉、心に現れる感情、頭に浮かぶ思考など、あらゆるものを清らかに保ちたいと感じるような気がします。それらから生み出される行いの背景には、欲や自我に代わり、愛や思いやりが存在していることにも気づかされます。

常に至高者を想うことは体や心を清浄に導き、そして私たちを束縛する行いすらも浄化をしていくのかもしれません。ヨーガの叡智が生み出すその深い意味をここでまた見つめ直しているようです。日々の行いを通じ、こうして自分自身を浄化できる瞬間があること、この生きる日々に感謝をしながら、大切に、そして丁寧に日々を過ごしたいと改めて強く感じています。

(文章:ひるま)

神の具現

2013.02.26 Tuesday

感覚器官が宿る場であり、変化を繰り返す肉体という物質をまとう以上、私たちは痛みや心地よさを経験せずに日々を過ごすことはできません。心という物質も同じように、幸せや苦しみを私たちに与え続けています。しかし、痛みや心地よさを感じながらも、こうして日々を過ごすことの美しさを、ここで過ごす日常は教えてくれるように思います。

憂いもあり喜びもある揺るいだ物質界に戻らぬよう、ここでは多くの人々が精神的な修行を続け、肉体や心を越えた決して揺るがない崇高なところへと至るための探求に励んでいます。そんな人々の姿は、ただそれだけで存在の至福を表し、それは常に自分自身の心を原点に戻してくれるように感じています。

心から神の名を唱える人々、心から祈りを捧げる人々、心から神を瞑想する人々、そんな人々の姿は何よりも美しいものです。神を求めることが、目的としての手段ではないその心は、それだけで平安を生み出し至福を広めているようで、私が心の底から欲するものを常に見せ続けてくれます。

こうして肉体を持つことは、神の姿を目にし、足に触れ、その名を唱えることを可能とします。響く神の名を耳にし、溢れる神々しい香りを嗅ぐことも、私たちはできるのです。それがどんなに素晴らしいことであるのかを、敬虔な人々から溢れる喜びが気づかせてくれるように思います。

「神は人間の中に明白である」賢者たちもそう述べています。意識をもったこの存在に宿る決して変わることのない真実の姿を、私たちは日々の生活においても表現し続けることができるのです。だからこそ、人間の内、そして自分自身の内に神を見られない者は、永遠に満たされることはないのかもしれません。

人間として生きることが素晴らしいことだと実感させるこの生活は、やはり神の存在を強く感じるからです。神を見ることをこうして可能にしている肉体すらも、その心さえも、物質の次元を超えて受け入れられる意識でいられるよう、私もここで生きる修行の日々を続けています。

(文章:ひるま)

アーサナの至福

2013.02.18 Monday

目まぐるしく変化をする季節の中で、アーサナの修練を通じ、集中的に自分自身の肉体を見つめることは、この変わり続ける物質界の姿をまじまじと見せつけられるように感じています。そしてその過程で見えるヨーガの真髄は、どんなものにも代えられない崇高なものとして、自分自身の内に深く気づきを与えていきます。

物質である肉体にある痛みや心地よさは常に変化を続けています。外の世界が大きく変化をする季節の変わり目においては、多くの人々がより強く、自分自身の肉体である小さな世界においてもその変化を感じていることと思います。それは痛みであったり、心地よさであったり、様々な波を日々の生活にも与えていきます。

アーサナの修練においては、その感覚器官が宿る肉体に深く集中するため、痛みも心地よさもよりはっきりと感じることがあります。そして感覚はとても強く、自己に様々なものを訴えます。それらと向き合うアーサナの修練の中で、感覚と自己を少しずつ切り離していく時、どんな時もそれを見つめている存在があることに気づく瞬間があります。

それはまるで、全てを否定して行く作業のようです。私はこの痛みでもなく、心地よさでもない。手でもなく足でもない。頭でもなければ、思考でもない。そこに残るのは、それを見つめている存在である至上者だけです。

エネルギーは心の向かうところへ変移します。心が痛みに向かえばエネルギーもそこへ向かい、痛みも増します。心が心地よさに向かえば、エネルギーもそこへ向かい心地よさが増していきます。心を感覚から切り離し、全てのエネルギーをその見つめる存在へと定める時、そこには至上者との強い一体が生み出されます。

全てを忘れ、ただ、見つめる存在となること。それは至上者と繋がり一体となる瞬間であり、それこそが最も至福を感じる私自身のアーサナの修練のように思います。移り変わる季節と、変化を続けるこの肉体の間で、決して変わらないその存在を見つける瞬間が今またここにあること、それに改めて至福を感じながら、この修練を続けていきたいと感じています。

(文章:ひるま)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 | 101 | 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 | 109 | 110 | 111 | 112 | 113 | 114 | 115 | 116 | 117 | 118 | 119 | 120 | 121 | 122 | 123 | 124 | 125 | 126 | 127 | 128 | 129 | 130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 | 136 | 137 | 138 | 139 | 140 | 141 | 142 | 143 | 144 | 145 | 146 | 147 | 148 | 149 | 150 | 151 | 152 | 153 | 154 | 155 | 156 | 157 | 158 | 159 | 160 | 161 | 162 | 163 | 164 | 165 | 166 | 167 | 168 | 169 | 170 | 171 | 172 | 173 | 174 | 175 | 176 | 177 | 178 | 179 | 180 | 181 | 182 | 183 | 184 | 185 | 186 | 187 | 188 | 189 | 190 | 191 | 192 | 193 | 194 | 195 | 196 | 197 | 198 | 199 | 200 | 201 | 202 | 203 | 204 | 205 | 206 | 207 | 208 | 209 | 210 | 211 | 212 | 213 | 214 | 215 | 216 | 217 | 218 | 219 | 220 | 221 | 222 | 223 | 224 | 225 | 226 | 227