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ケダールナートの思い出

2013.07.08 Monday

連日ウッタラカンドの災害のニュースが放映されていますが、土石流によって今は閉ざされてしまったケダールナートを、1998年に私が訪れた時のお話を書かせていただきます。
1日も早い終息と復興の祈りとともに・・・。

私がウッタラカンドのヒマラヤの四大聖地を巡礼したのは、30代前半の時でした。
3ヶ月の巡礼で当時70kgあった体重が59kgまで減ってしまいましたが、私には、人生最高の思い出の一つになりました。

ケダールナートは、四大聖地の3番目にあたるわけですが、知り合いのサドゥからもっとも素晴らしい聖地だと聞いていました。
加えて、参拝前の沐浴地ガウリークンドに到着する直前、目の前のヒマラヤに信じられないほど幻想的なシヴァリンガムの形の雲がにわかに出現するという出来事に遭遇して、期待は高まっていました。

私も名前にいただいているガネーシャ神の誕生地(ここで入浴したシヴァ神の妻、パールバティー女神の垢からガネーシャは生まれました)、ガウリークンドの温泉に浸かっているときには、外国人の沐浴を嫌うインド人の集団に脅されましが、同時に外国人にヒンドゥー文化を理解してもらおうと考えるインド人の集団に助けられました。

インドでは一般的にこういうことが起こることは稀です。これは巡礼前の私の悪しきカルマの解消のための起こったのだと、理解しました。

ガウリークンドからケダールナートまでは、健脚で高山病にかかりにくい人は1日で往復できます。健脚ではなく高山にも弱い方は2~4日ほどかかるかもしれません。

私は1日で往復することができましたが、途中のヒマラヤの美しい景色は、筆舌に尽くしがたいものでした。

ケダールナートの寺院では、外国人の巡礼者だということで優先的にご神体(地面から突き出ている黒い岩)に触らせていただき、額をつけて祈る許可をいただきましたが、あまりに強力なエネルギーを発していたため、私は額がつけられませんでした。(修行が多少進んだ今であればご神体に額をつけられるかもしれません。)

寺院の外に出た時、この地域全体が、あのご神体のエネルギーで覆われているのを感じました。件のサドゥが「もっとも素晴らしい聖地」だと言っていた意味がわかったように思います。

ケダールナートは、このように非常に美しく、シヴァ系の強力な波動を持った聖地です。
このような聖地が1日も早く復興することを願ってやみません。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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聖地のあるところ

2013.07.01 Monday

インドの世界に身を置く時、苦難の中で、人々の歩む姿に心を打たれる瞬間が多くあります。中でも、神々がいる聖地に向う巡礼者の、暑さや寒さ、飢えや渇きに惑わされない確かな足取りに、定まった心の強さを見せつけられることが幾度となくありました。

古くから、巡礼は世俗的な行事から離れ、神の下へと歩みよる大切な行いと位置付けられています。最低限に必要なものだけを持ち、裸足で、質素な食事と共に続けるその静かな歩みは、重要な修行の一つとして、インドでは現代でも多くの人々がいそしんでいます。

ヒマラヤ山麓を行く巡礼は、厳しいものではあっても特に美しいものです。天険の山々が神々の存在を際立たせる中で、険しい道のりが深い集中力を引き出し、心に乱れる隙を与えません。その過程において意識が完全に現在に留まり、時間を超えた存在である「神」との一体を人々に経験させていきます。その中にある喜びは、巡礼者の姿が明確に物語っていました。

静かに歩みを続ける中で、大自然が何を語り、どう命を育んでいるのか、自分を取り巻く中心が聞こえ、見えてくるように感じたこともあったように思います。心の雑音が消え失せる時、そこにある本質に容易に近づくことが可能です。それを可能にさせる聖地の存在には、どんな時も敬服せざるを得ません。

インド北部で生じた豪雨により、そんな聖地の一つが閉ざされたことには、気づくべく多くのことがあるはずです。一人一人が、自身の内と向き合う時機を与えられているのかもしれません。自身の内に、その聖地が存在することを、日々を歩みながらしっかりと確認し、証明していくことが必要のように感じます。それは、インドの叡智が示す最も美しい生き方に他ありません。

個々の美しい心によって、神々が喜び、この世界に聖地として再び美しい姿を見せてくれることを心から願っています。何度も目にしてきた、苦難に遭ってもひたすらに強く生きるインドの人々が、それも確かなものとしてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

私たちのすべくこと

2013.06.24 Monday

雨の季節が、インドにも訪れています。7月に入ればインド全土を覆い尽くすモンスーンは、乾ききった大地に潤いをもたらし、灼熱の夏から人々を解放します。そしてこの時期に迎えるのが、ヒマラヤ山麓のガンジス河源流を辿るチャールダムの巡礼です。

3000mの山々を行くこの巡礼は、激しい雨風をもたらすモンスーンに重なり、毎年幾多の事故が絶えなくとも、人々は神々がいる聖地を求め、歩みを止めることはありません。しかし、今年はかつてない豪雨により、多くの川が氾濫し、山や崖が崩れ落ち、聖地では寺院が土砂に埋もれ、身動きが取れなくなった巡礼者にも多くの被害が出ているニュースが伝えられています。

大雨や突風、雷雨など、インドが見せる荒れ狂う自然の姿は、時に身がすくむほどの恐ろしさを感じることがありました。しかし、その恐ろしさの中で必死に求め見えてくるものが、偉大な存在であったことも事実です。人々が危険を冒しながらこうして聖地に向うのも、そこでより強く、偉大な存在との一体を経験しているからなのかもしれません。

重要な局面においては、一瞬でも心が乱れれば、そこには危機的な状況が生じていきます。ヨーガにおいても同じです。深い集中力を伴うアーサナの修練において、心が一瞬でも揺らぐ時、身体には痛みや不安定さが現れます。だからこそ、その過程で人々の心は偉大な存在を切に求め、定まることが出来るのかもしれません。

偉大な存在は、自分自身の本質でもあります。多くがその本質から離れている現代において、人の心は乱れ様々な過ちを犯し、困難に面していることも事実です。そして、小宇宙である肉体に痛みが生じるように、大宇宙であるこの世界にももちろん痛みが生じています。絶えない自然災害が、その痛みを世界に訴えているようにも映ります。

私たちがすべくことは、一人一人が本質を理解すること、ただそれだけです。そして今、こうして偉大な存在に心を定める機会を与えられていることは、何よりも重要なことであるに違いありません。心の働きに惑わされず、個人が本質と共に平安にあることで、この大自然もまた平安の内に落ち着くことは、個と全体の繋がりがしっかりと示しています。

2013年、この豪雨によりチャールダムの一つであるケダルナートへの巡礼は閉ざされました。今私たちにできることは、自らによって自らを向上させることだけかもしれません。全てが平安に落ち着くことを切に願いながら、自分自身が今すべくことを全うしたいと感じています。

(文章:ひるま)

ヴェーダの美しさと、土着の神々の魅力

2013.06.24 Monday

インドの精神的支柱といえばヴェーダがその最右翼にくるでしょう。
もちろん他にも素晴らしい聖典はたくさんあるのですが、ヴェーダはシュルティ(天啓聖典)と言われ、スムルティ(伝承聖典)といわれる他の経典とは少し違った扱いになっています。

つまり他の聖典が伝承されてきたのに対し、ヴェーダは賢者(もしくは見者)が深い瞑想中に感得したものの集大成という扱いになっています。

これが本当かどうかは、学者ではなく実践家の私にはわかりません。
しかし、そう言っても納得できるような旋律の美しさが、たしかにヴェーダの詠唱には感じられます。

インドの歴史をみると現在のヨーロッパの人たちと祖先を同じくするアーリア人が紀元前2000年頃、インドにやってきて土着のドラヴィダ人を征服したという歴史があります。
そして征服されていった方の文化も捨てられることなく、吸収整理されてきたのが、今のヒンドゥー文化と言っていいと思います。

ですから、よく調べてみるとアーリア由来のもの、ドラヴィダ由来のもの、というものが浮き上がってきます。
ヴェーダそしてプージャーなどははアーリア由来、タントラ経典やハタ・ヨーガやはドラヴィダ由来ですが、ハタヨーガでよく行われるれるスーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)はアーリア由来など・・。

インドの神々もそうでアーリヤ由来ドラヴィダ由来あるいはその両方のから生まれたものなど、多種多様なのですが、それぞれ個性としてにじみ出ているが素晴らしいと思います。

ちなみにわりとやさしいアーリア系の神様に比べて、元々ドラヴィダ由来の神様は、畏怖面をもつものが多いです。

インドの寒村などに行くと、日本の道祖神のように村に祀られた神像をみかけることがあります。たいていはガネーシャやシヴァなど日本人の私でもわかる神様なのですが、中には知らない神様もおられます。(私はインドの神様にはかなり詳しい方です。)
そしてこれらはもしかしたらドラヴィダ由来なのかな、と思うこともあります。

そうしたときインドの遥かなる歴史に想いを馳せてなんとも言えない気持ちになります。

私は2004年から2011年位までヴェーダやプージャーなどを勉強してきました。そして今は土着(ドラヴィダ系)の神々やそれらに付随する精神的身体的技術に非常に興味があります。
洗練された美しいヴェーダに対し、どこかにわずかに残ったごつごつ感のようなものに原初の魅力を感じております。


もちろんどちらもれっきとしたインドの文化であり、現在は分かつこともできません。
全てがインドなのです。インドは本当に混沌としながら調和のとれた魅力に満ちています。インドって素晴らしい、そう思います。

(アーリア人とドラヴィダ人の関係には異説もあります。でもインドの文化が混沌としながら調和をしているという「事実」には変わりはありません。)

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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バガヴァッド・ギーター第6章第8節

2013.06.18 Tuesday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

ज्ञानविज्ञानतृप्तात्मा
jñānavijñānatṛptātmā
ジュニャーナヴィジュニャーナトリプタートマー
知識と経験によって心が満たされ


jñāna【中性】知ること;知識;真の知識、優れた知識;知恵;企図;仮定;意識;感覚器官
vijñāna【中性】識別;熟練、上達、技術;教義;策略、詭計;神聖でない知識、世俗的な知識[jñānaの対義語];知力、判断力;意識の器官(=manas 意)
tṛpta√tṛpの過去受動分詞】~をもって満足する、~をもって充足する
ātmā【男性・単数・主格 ātman】[~は、~が]気息;霊魂;生命、自身;本質、本性;特色;身体;知性、悟性;我、最高我
→jñānavijñānatṛptātmā【男性・単数・主格、所有複合語】[~は、~が]知識と経験に心が満足した、理論知と実践知によってアートマンが充足した

कूटस्थो विजितेन्द्रियः ।
kūṭastho vijitendriyaḥ |
クターストー ヴィジテーンドリヤハ
動じることなく、感官を制御した


kūṭasthas【男性・単数・主格 kūṭastha】[~は、~が]最高所を占めた、首位にある;~の中心・群の中にある;不動の、不変の
vijitavi√jiの過去受動分詞】征服された、獲得された
indriyas【男性・単数・主格 indriya】[~は、~が]神の力;支配;偉大な行為;活力;体力;精力;感官;感覚
→vijitendriyas【男性・単数・主格、所有複合語 vijitendriya】[~は、~が]自己の感官(根)を制御した

युक्त इत्युच्यते योगी
yukta ityucyate yogī
ユクタ イティユッチャテー ヨーギー
彼は専心した修行者といわれる


yuktas【男性・単数・主格 yukta√yujの過去受動分詞)】[~は、~が]くびき(軛)につながれた、(処格)に従事した、~に専心した;(具格)に忙殺された、~に専念した;(処格)に熱中した;集中した
iti【副詞】~と、~ということ、以上(しばしば引用句の後に置かれる)
ucyate【三人称・単数・現在・受動活用 √vac】[彼は~される、それは~される]言う、話す
yogī【男性・単数・主格 yogin】[~は、~が]ヨーガ行者、修行者、実践者

समलोष्टाश्मकाञ्चनः ॥
samaloṣṭāśmakāñcanaḥ ||
サマローシュターシュマカーンチャナハ
土、石、金を平等にみる者は


sama【形容詞】平らな、滑らかな、水平の、並行した;類似の・似た・等しい・同等の・同じ・同一の;不変の;偶数の;正常な;普通の、中等の;無関心の、中立の;善良な、正しい、正直な;容易な
loṣṭa【男性】土塊、粘土
aśma【男性、aśman】岩、石、宝石;石製の道具;雷電;雲、蒼空
kāñcanas【中性・単数・主格 kāñcana】黄金;金銭
→samaloṣṭāśmakāñcanas【男性・単数・主格、所有複合語】[~は、~が]土塊、石、金を平等にみる

ज्ञानविज्ञानतृप्तात्मा कूटस्थो विजितेन्द्रियः ।
युक्त इत्युच्यते योगी समलोष्टाश्मकाञ्चनः ॥८॥

jñānavijñānatṛptātmā kūṭastho vijitendriyaḥ |
yukta ityucyate yogī samaloṣṭāśmakāñcanaḥ ||8||
知識と経験によって心が満たされ、感官を制御し、動じることなく、
土、石、金を平等にみる者は、専心した修行者といわれる。
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