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ナヴァラートリ祭

2013.09.30 Monday

ナヴァラートリとは、ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティー女神をお奉りするヒンドゥー教の三大祭典のひとつです。「ナヴァ」はサンスクリット語で9をあらわし、「ラートリ」は夜を意味します。したがって、ナヴァラートリとは、9日間の夜となります。この祭典は、春と秋の年2回、9日間にわたって行われます。ヒンドゥー教のカレンダーでは、月齢にしたがっているために毎年開催時期が多少前後しますが、2013年は10月5日から13日まで行われます。

ナヴァラートリの9日間は、礼拝する神さまに応じて、3日間ずつに分けられます。はじめの3日間は、わたしたちの心の中に潜む不純物や悪徳、欠点を破壊するため、強力な戦士でもあるドゥルガー女神を礼拝します。次の3日間は、すべての帰依者に尽きることのない富と幸福を授けるといわれるラクシュミー女神を礼拝します。そして、最後の3日間は、創造主ブラフマーの妻であり、学問と芸術、そして叡智を授ける女神であるサラスワティー女神を礼拝します。わたしたちは人生のさまざまな局面で、神々からの祝福を求めて、3つの側面をもつそれぞれの女神さまにお祈りを捧げます。そのために、この祭典には9日間が費やされます。

ナヴァラートリの期間中、真摯な帰依者の中には、断食をしながら、健康や繁栄を願って祈りを捧げる人々もいます。じぶん自身の日々の生活を見つめ直して、人生の向上につながる新しい習慣をはじめるには、昔からナヴァラートリはこの上ない吉祥の日であるといわれています。

10月14日に行われるナヴァラートリの第10日目は、ダシャラー(Dussehra)と呼ばれる吉日です。この日には、ラーヴァナという悪魔をかたどった像が燃やされ、ラーマに主導される善の勢力が、悪に打ち勝った日として盛大に祝われます。

ナヴァラートリは、自身の内面に潜む不浄な傾向を克服するために、非常に重要な期間とされています。この神聖な期間を活かして、かつてラーマが悪鬼ラーヴァナに勝利したように、わたしたちの内面に潜む悪魔を討ち滅ぼすことができるよう日々を過ごされてみるとよいでしょう。

参照
[1] "Navaratri" from Wikipedia, Free encyclopedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Navratri

ヒマラヤの地

2013.09.30 Monday

この地が見せるさまざまな表情に、どこまでも惹かれる日々が続いています。インド最北の地を訪ね、連なるヒマラヤの偉大な山々の姿に、心の定めるべき場所を再確認したように思います。そこでは、宇宙を感じさせるほどの濃い空の青さの中で、木も生えない厳しい環境を生きる人々の祈りが、いつものように響いていました。

体で感じ、移り変わるものについ心を奪われて、最も大切なものを見失う瞬間が重なる日々の中で、持てるものだけを持ち、こうして動くこの生活が私はとても好きです。歩む先では、自分自身を定義するものが何一つ、存在しないからかもしれません。それは決して、社会から身を切り離すことではなく、過去でもない、未来でもない、今という世界に完全に心が定まることを意味するのだと感じています。

真っ白な心で偉大すぎるほどの山々を前にすれば、自我は消え失せ、敬服の念と共にこの上ない美しさと喜びを実感し、人間ができることなど何もないのだと、ただそこに存在する至福の意味、そして生きる喜びに気づかされます。木も生えないこの地で祈りを続ける人々の姿が、何よりもそれを明確に物語っていました。

多様に変化を見せるインドだからかもしれません。その中で不変の存在を、人間を通じて垣間見る時、その存在が何よりも強く迫り、自身のもとへと飛び込んできます。彼らがそうするように、永遠に変わらずに存在するもののもとにいつも心を定め、ただ生きることの美しさと喜びを、自身を通じ映し出していたいと、心の底から感じたほどです。

永遠に変わらない、絶対の存在はどこにあるのか。目を閉じれば、あの偉大な山々が姿をあらわすように、それは全て、自身の内にあることを実感しています。その事実は、ヨーガの集中的な修練を通じ学んできたものに他ありません。

外界が変化を続けながらも、それをじっと見守る存在がいつもそこにあり続けます。この肉体の内で、自身の中心にその存在が変わらずに在ることを、絶え間なくインドの地が教えてくれるように思います。この地を歩みながら、どこにいても、いつの時も、その事実に気づくための日々の修練が続いています。

(文章:ひるま)

バガヴァッド・ギーター第6章第14節

2013.09.26 Thursday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

प्रशान्तात्मा विगतभीर्
praśāntātmā vigatabhīr
プラシャーンタートマー ヴィガタビール
自己を静め、恐れを滅し


praśānta【男性 pra√śamの過去受動分詞】静穏になった、平穏な;吉祥な;消滅した;除かれた;和らいだ、やんだ、終わった、消え失せた;休止した;死んだ
ātmā【男性・単数・主格 ātman】[~は、~が]気息;霊魂;生命、自身;本質、本性;特色;身体;知性、悟性;我、最高我
→praśāntātmā【男性・単数・主格、同格限定複合語】[~は、~が]安らかな心、消滅した自己
vigatavi√gamの過去受動分詞】散った、去った;死去した;消滅した、行った
bhīs【女性・単数・主格 bhī】[~は、~が]~に対する恐怖・驚愕・恐慌・畏怖
→vigatabhīr【女性・単数・主格、同格限定複合語】[~は、~が]消滅した恐怖、去った恐れ

ब्रह्मचारिव्रते स्थितः ।
brahmacārivrate sthitaḥ |
ブラフマチャーリヴラテー スティタハ
禁欲の誓戒を守り


brahmacāri【男性 brahmacārin】宗教的学習者;禁欲者 【形容詞】宗教的学習期にある;禁欲を実行する
vrate【中性・単数・主格 vrata】[~は、~が]命令、法則、掟;奉仕、従順;動作、行為、行状、態度、生活様式;宗教的儀式、勤行;~に対する義務;自分自身の上に課した宗教上・禁欲上の遵守、苦行、誓い、掟、(断食・性的禁欲のような)聖なる行い
→brahmacārivrate【中性・単数・主格 brahmacārivrata】[~は、~が]禁欲の誓戒
sthitas【男性・単数・主格 sthita】立っている、立ち上がっている;~に留まる・残る・位置している;~に従事した・熱中した・耽った・献身した・実践する・に屈しない;着実な、守られた;定着した

मनः संयम्य मच्चित्तो
manaḥ saṁyamya maccitto
マナハ サンミャンミャ マッチットー
心を抑制し、私を思念し


manas【中性・単数・主格 manas】[~は、~が]心、内的器官、知性、理性、精神、良心、思考、意向、気分
saṁyamya【絶対分詞 sam√yam】[~して、~してから]保持する、ひきしめる;抑止する;縛る、束縛する;抑圧する、抑制する;制止する、制御する
mad【一人称代名詞】私
cittas【中性 citta】注意;思考、思想;目的、意志;精神、心、知性、理性
→maccittas【男性・単数・主格 maccitta】私に専心する、私を思念する

युक्त आसीत मत्परः ॥
yukta āsīta matparaḥ ||
ユクタ アーシータ マットパラハ
私に専念し、専心して坐すべきである


yuktas【男性・単数・主格 yukta√yujの過去受動分詞)】[~は、~が]くびき(軛)につながれた、(処格)に従事した、~に専心した;(具格)に忙殺された、~に専念した;(処格)に熱中した;集中した
āsīta【三人称・単数・アートマネーパダ・願望法 √ās】[彼は~だろう、彼は~するべき]坐す;住する、止まる;住居を構う;屯営する;休む、留まる、横たわる
mat【一人称・単数・従格、人称代名詞 mad】[~から、~より]私
paras【男性・単数・主格 para】~を主要なものとする、~を目的とする、~に熱中する、~に深く感動する
→matparas【男性・単数・主格 matpara】私に専念する、私に専向する

प्रशान्तात्मा विगतभीर्ब्रह्मचारिव्रते स्थितः ।
मनः संयम्य मच्चित्तो युक्त आसीत मत्परः ॥१४॥

praśāntātmā vigatabhīrbrahmacārivrate sthitaḥ |
manaḥ saṁyamya maccitto yukta āsīta matparaḥ ||14||
自己を静め、恐れを滅し、禁欲の誓戒を守り、心を抑制し、
私を思念し、私に専念し、専心して坐すべきである。

不変の幸福があるところ

2013.09.23 Monday

今という瞬間を生きることは、幸福に留まる最もシンプルな術のように思います。究極の幸福へと繋がる道を示すヨーガに励みながら、その目的を見つめ直す時、どんな時も今を生きる意味を見せられ、自身が在るべき幸福の存在する場所をつきつけられるからかもしれません。

現在という瞬間に心を定める修練において、私にとっては、「プラティヤーハーラ」もまた大きな位置を占めるものでした。感覚の制御を意味するプラティヤーハーラは、感覚の対象物から自らを引き離し、内なる世界へと向かう修練として知られています。

見ることや聞くこと、匂い、感触、味わい、こうした感覚から一瞬たりとも離れずに、私たちは生きています。それらは喜びだけではなく、苦しみをもたらすものでもあり、人々の心から平安を奪うその感覚や対象物に、賢者は決して近づかないと、古い聖典においても度々述べられてきました。

事実、感覚を引き起こす対象物から自らを遠ざけることは、外界で起こる現象を引き離し、内なる自身の本質を浮き上がらせていきます。それは決して、自分自身を押さえつけるものではなく、また感覚を引き起こさないよう、行いを止めるものでもありません。

ヨーガの修練を通じ、そこで学ぶものは、無執着であったように思います。感覚の制御のために、世界から身を切り離すことではなく、この世界が存在する現在という瞬間に完全に留まり、手放すこと、そして身を委ねることを学ぶ修練そのものでした。

それは、今までに感じてきたこと、これから感じるであろうこと、それら感覚が生み出す幸せを求めて、過ぎ去った過去やまだ来ない未来へと動き回る心を、絶対の幸福が唯一存在する現在という瞬間に定めることに他ありません。

こうあるべき、こうしたい、これが欲しい、感覚から生じるそういった心の働きに惑わされることなく、現在というあるがままの瞬間を生きること、その真の美しさを、今日もここで享受しています。その瞬間の喜びが何よりも勝るのは、自身の本質が唯一、存在する瞬間であるからに違いありません。

(文章:ひるま)

2重に月が傷ついている出生図と聖者

2013.09.23 Monday

インド占星術では、聖者と呼ばれる人の中に出生図に2重に傷ついた月が、わりとよく見られるといいます。
もちろん聖者の中には他の星の配置の方も数多くおられるのですが、その中で「傷つく」という一見マイナスな要素が、聖者という素晴らし存在に関係する場合があるのというのは、非常に興味深いです。
月は心を表しますが、それが大変傷ついていることになります。そんな心の持ち主になぜ聖者が多いのか、出生図に2重に傷ついた月の持ち主である私ガネーシャ・ギリが解読してみたいと思います(もちろん私は聖者ではありません)。

一般的には2重に傷つくというのは、否定の否定、つまり肯定ととらえられているのですが、やはり深く傷ついていることに変わりはないと、個人的には思います。

それほど傷ついていると、日常生活に心安らぐ時間はほとんどありません。子供のころからそういう生活を送ります。
たとえば、春の気候のいい日、あるいは気持のよい秋のある日、大抵の方は(特に問題を抱えていなければ)心身共にリラックスすることが多いと思います。
しかし、月が深く傷ついているとそういう日でも、心からリラックスして過ごすことができないのです。

生きるのを非常につらく感じるわけです。
(もちろん月が一重に傷ついていたり、他の星の要素で生きるのを辛く感じる方もおられます。それらの場合月が2重に傷つく場合とは少しつらさの量や傾向が違うのだと思います。)

ところが何かの機会に瞑想などを体験すると、非常に安らぎを感じるわけです。すると瞑想にのめり込むようになります。
また他方、真のグル(師)に出会った時も、非常な安らぎを感じます。

それら以外に、心が安らぐ場がないわけですから、サーダナ(霊的修練)にのめり込むことになるのだと思います。
とても卑近な表現をすれば、疲れ果てて帰った時、酒を飲もうではなく瞑想しようになるのです。

そしてサーダナをすることにより、運命は改善し月の傷つきも取れていきます。
そして徐々に至福を味わえるようになるのです。

結果、月日がたち、その方は聖者と呼ばれるようになるのだろうと思います。

以上のようなことを考えると、当然のことながら2重に傷ついた月の持ち主が必ず聖者になれるわけでもなく、逆に、月がどういう状態にあってもサーダナを続ければ、聖者のようになれる可能性があるということです。

当たり前すぎるほど当たり前ですが、神にまみえる、行をするという行為が最も大切なのです。
マイペースで、わずかでも毎日マントラ唱える、瞑想をするなどの行為を行えば、わずかづつですが聖なる存在に近づけるだと思います。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによる特別ゼミ インド占星術基礎と運命改善技法」
http://www.uranai-school.jp/h_kaikou/toku_vedic_girii.html

「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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