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菜食のススメ

2013.10.21 Monday

ご存知のように、インドはヴェジタリアン大国です。さらにヴェジタリアンでない人であっても、肉は特別な日でなければ食べない、という人も多いです。
そしてこの国には、美味しい野菜料理もたくさんの種類があります。

最近日本のテレビで医者が「長生きするには肉を食べるべきだ。」「ヴェジタリアンは長生きしない。」という発言をしているのを聞いたことがあります。
世界でも有数の長寿国である我々日本の医者がそういうのだから間違いはないだろうと思ってしまいがちですが、今の長寿を支えている人たちは、今とは比べ物にならないくらい貧しい時代を過ごしていて、今ほど肉を食べて来なかったことにも注目をしなければならないと思います。

日本の医者が間違っているというわけではありませんが、おそらくインドの医者であれば、「ヴェジタリアンは長寿の秘訣」と言うと思います。

霊的に見た場合、ヴェジタリアンであることは、間違いなくいいと断言できます。肉を食べている人が霊的に低いレベルだと申し上げているわけではありません。
ただ、やはり菜食であると、肉食をしている時よりも深く瞑想に入れるようにはなりますし、性格も穏やかになります。

また個人的な意見ですが、霊的に情報をキャッチする能力(たとえば透視能力など)は、個人差は大きいとは思いますが、肉食より菜食の方が、良く働くと思っています。

というようなお話をさせていただきますと、「ヴェジタリアンになりたいけど、家族がいるので難しい。」「会社での付き合いがあるので菜食は難しい。」という意見などもよくお聞きします。
それはその通りでしょう。

そこで、私がヴェジタリアンになる20年以上前、ヨーガの師から聞いたやり方をご紹介いたしましょう。
大変簡単な方法です。
3食のうち、1食をヴェジタリアンにするというのはいかがでしょうか。
朝食でも昼食でもいいのですが、肉と魚の入っていない料理をセレクトするのです。
これだけでもずいぶん心身が変わると思います。

また、肉はやめて魚だけにすると言うのもいいと思います。欧米で「ペスコ・ヴェジタリアン」と呼ばれるものですね。
ゆるいヴェジタリアンですが、肉食をするよりも日本人の体質には合っていると思います。

そして最後に・・、ヴェジアタリアンであるということは、間違いなく環境にもいいです。

もうすぐインドではディワーリー(灯明祭、インドの新年)です。
もしご興味をお持ちであれば、これを機会に「1食だけヴェジタリアン」もしくは「ゆるいヴェジタリアン」、始めてみませんか?

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによる特別ゼミ インド占星術基礎と運命改善技法」
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ヴィジャヤ・ダシャミー(ダシャラー祭)

2013.10.14 Monday

本日迎えているこのヴィジャヤ・ダシャミー(ダシェラー、一部の地域では13日)は、ドゥルガー女神が悪神マヒーシャスラを倒した日とも、また、ラーマが魔王ラーヴァナに打ち勝った日であるとも言われます。悪に対する善の勝利、その何よりも喜びに満ちる神聖な時です。

悪については、インドに広まる古くからの教えの中でさまざまに伝えられながらも、例えば、魔王ラーヴァナの10の頭に象徴されるような10の悪質があると言われます。色欲、怒り、執着、強欲、慢心、嫉妬、自己中心、偽り、酷薄、自尊心。時に私たちの心を支配する感情や思考の数々です。

大宇宙であるこの世界は、小宇宙である私たち個々の現れそのものであると言われます。それ故、そこに生じる悪というものもまた、私たち個々の内から生じるものに他ありません。だからこそ、この世界を平安に満たすには、一人一人の心が清められなければならないと、古くから多くの聖者が自身の内を辿り、個々の在り方を世界に示してきました。

悪質に苛まれる時、人は死の時まで、無数の不安と焦燥に苦しまねばなりません。それが、自身の内の無知から生じるものだからです。これらの悪質を滅し、至福に至るための唯一の方法が、自分自身の内にある神性に究極的に気づくということであると古くから示されてきました。

この変化の時、ナヴァラートリに見られるように、日々の中でより強く崇高な存在と向き合う瞬間をもつことは、必然的に自身の内を神性で満たしていきます。それはあらゆるものの本質に繋がる瞬間でもあり、その真実に定まる時、無知から生じる悪質が浄化されていくことを、ここで得る日々の平安さが物語っています。

自身の内の神性への気づきが個々の心を満たすことによって、私たちが住まうこの社会もまた喜びと平安に満ちたものとなることは、確かな事実です。多くの人々の心にこの叡智が届きますよう、自分自身もまたこの勝利の日を祝福したいと感じています。盛大な祝福と共に、皆様もこの勝利の日を迎えられることを心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Vijayadashami

女神たちの夜

2013.10.07 Monday

インドでは、ナヴァラートリ祭(9日間の夜)が始まっています。女神たちに捧げられるこの9日間の夜は、断食が主たる祝祭でありながら、インドの数ある祝祭の中でも特に心惹かれるお祝いの一つであり、今ここにいられることの喜びを噛みしめています。この祝祭を通じ、大自然を敬いながら偉大な叡智を残した、先人たちの精神の深さに改めて学びを深めています。

こうして祝祭が続くインドの日々には、その一瞬一瞬に、叡智に基づく大切な意味が込められています。このナヴァラートリ祭もその一つです。

秋が深まるこの季節、その天候の移り変わりは、私たちの身体にさまざまな影響を与えます。太陽の高さ、風の向きは変わり、受けるエネルギーにも大きな変化が生じます。それは体だけでなく、心の面においてもエネルギーの上昇と下降を与え、個々の内に不安定さを生み出すものともなり得ます。

こうした外界の変化を受け、小さな世界である人間の肉体の内にも変化が生じるのは、物質という肉体をまとう故、避けられない事実です。この変化の時、こうして断食が勧められるのは、浄化によってその変化に均衡と安定をもたらすためであり、そこで試される感覚の制御が、同時に自身の心を崇高なものの下へと定めていきます。

変化から生じる不安定さの中で、私たちは必然的に、恐れや不安、怒りや疑い、憎しみや嫉妬を経験せねばなりません。9日間の夜は、それらを打ち壊す全宇宙の母、そしてエネルギーの源である女神に捧げられるものであり、そして訪れる10日目が、ヴィジャヤ・ダシャミーとして知られる勝利の10日目です。変化が生み出すものに打ち勝ち、不変のものと繋がる術を、女神を通じ学ぶ時がこのナヴァラートリ祭です。そこにある平安は、どんなものよりも幸せに満ちたものに他ありません。

断食と言わずも、ナヴァラートリ祭においては多くの人々が食の節制に努め、現代においても変わらずに古代の叡智が受け継がれていることを実感します。どんな時も幸せであること、叡智はただそれを、私たちに伝えています。そして私たちがすべくこととはただ一つ、外界が移り変わっても、不変の叡智と共に自身を永遠の幸福に定め、世界を平安に留めることに他ありません。

皆さまの下にも、女神たちの恩寵が多くありますことを心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

生活の全てがマントラになる

2013.10.07 Monday

ヨーガを学び始めたころ、師に「○○寺の住職を真似るといい。」と言われたことがあります。
その住職は、もちろん日本の密教系の小さな寺の住職なのですが、寺に参拝してから住職の様子を眺めていると、寺の雑務を走り回ってこなしながら、神仏が祀られている場所を通るたび印を組んで真言(マントラ)を唱えているのです。

寺の中にはおそらくたくさんの小さな神仏が色々な場所にお祀りされているらしく、境内のあちこちで真言を唱え、足早に歩き仕事をこなしていました。
当時修行の道に本格的に入ったばかりの私は「凄い。」と驚嘆しました。

それよりずいぶん後の話になりますが、師の許可を得てヴェーダの教師にマントラを習っていた時、「だんだん生活の全てがマントラになっていきますよ。」と言われました。

その時は、「そうなんだ。」と思っただけでですが、今になってみるとその意味がわかります。

朝起きて、地に足をつけるときのマントラから始まり、顔を洗うために水を使うときのマントラ、もちろん食事の前のマントラを含め、ヴェーダには、様々な動作の時に唱えるマントラが存在しています。

私はもちろんヴェーダの専門家ではないので、様々な動作におけるマントラはほとんどしていませんし、上記の僧侶のように特定の場所にお祀りされている神様にマントラを唱えるということもしていません。
ただ・・特定のマントラは常に心の中で唱えています。

これは昔ヒマラヤのジュナー・アカーラという大変厳しい戒律で有名な僧団の最高位にいるサドゥに、どんな動作、どんな仕事をおこなうときも、心の中でマントラを唱えながら行うべきだ、とう話を聞いたことがそもそものきっかけになりました。

今となっては当たり前の話ですが、当時は新鮮な驚きだったのです。

どのやり方でも、やがて森羅万象全ては波動≒マントラからできているというのが実感としてわかるようになるのだと思います。

何か特定の好きなマントラを選び、常に心の中でそのマントラを唱えながら仕事や作業を行えば、全ての行為を神に捧げることになります。
素晴らしいカルマヨーガと言えるでしょう。
普段マントラを唱える習慣のない方も、ご興味があれば女神を讃えるナヴァラートリーをきっかけに、マントラを唱え始めてみてはいかがでしょうか。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによる特別ゼミ インド占星術基礎と運命改善技法」
http://www.uranai-school.jp/h_kaikou/toku_vedic_girii.html

「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

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バガヴァッド・ギーター第6章第15節

2013.10.02 Wednesday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

युञ्जन्न् एवं सदा ऽत्मानं
yuñjann evaṁ sadā 'tmānaṁ
ユンジャン エーヴァン サダー トマーナン
このように、常に自己を修練し


yuñjan【男性・単数・主格・現在分詞・使役活用 √yuj】[~させている]~に繋ぐ;接合する、結合する;(祭式を)行う;~に(精神・思考)を集中する;精神を統一する、深く瞑想する;想起する、回想する
evam【副詞】このように、こんなふうに、そんなふうに
sadā【副詞】始終、常に、何時でも
ātmānam【男性・単数・対格 ātman】[~に、~を]気息;霊魂;生命、自身;本質、本性;特色;身体;知性、悟性;我、最高我

योगी नियतमानसः ।
yogī niyatamānasaḥ |
ヨーギー ニヤタマーナサハ
心を制御したヨーガ行者は


yogī【男性・単数・主格 yogin】[~は、~が]ヨーガ行者、修行者、実践者
niyata【過去受動分詞 ni√yam】(処格)に結ばれた;握りしめられた;阻止された、抑制された;禁止された、中断された;確定された、確立された、固定した;不変な、一定した;制限された;~に専心する
mānasas【男性・単数・主格 mānasa】心、精神
→niyatamānasas【男性・単数・主格、所有複合語】心を制御した、意を統御した

शान्तिं निर्वाणपरमां
śāntiṁ nirvāṇaparamāṁ
シャーンティン ニルヴァーナパラマーン
心の平安に、究極の涅槃に


śāntim【女性・単数・対格 śānti】[~に、~を]心の静穏、心の平和;(火が)消えること;平和、好運、繁栄;寂静、寂滅;涅槃
nirvāṇa【中性】消滅;解消、究極の解放、絶対との一致;~に専念すること;完全な解脱;完全な満足、至福;寂静、寂滅、安穏;涅槃
paramām【女性・単数・対格 parama】最も遠い、最も遠隔の、最も極端な、最後の;最高の、主な、第一位の;至高の、超越した;最も優秀な、最善の、最大の;最悪の;~より良い、~より大きな、~より悪い
→nirvāṇaparamām【女性・単数・対格、同格限定複合語】[~に、~を]最高の至福、究極の涅槃

मत्संस्थाम् अधिगच्चति ॥
matsaṁsthām adhigaccati ||
マットサンスターム アディガッチャティ
私の状態に達する


mat【一人称・単数・従格、人称代名詞 mad】[~から、~より]私
saṁsthām【女性・単数・対格 saṁsthā】(―゜)と共に滞在、共に居住すること;形、外観;確立された秩序、標準、規則;状態、状況、本性 【形容詞】~の形を持つ、~として現れている
→matsaṁsthām【女性・単数・対格】[~に、~を]私と共に居ること、私の状態 【形容詞】私の姿を持つ、私として顕現する、私に依拠する、私に内在する
adhigaccati【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 adhi√gam】[彼は~、それは~]~に行く、近づく、達する;出会う、遭遇する;見出す、発見する;完成する;学習する、研究する、読む

युञ्जन्नेवं सदाऽत्मानं योगी नियतमानसः ।
शान्तिं निर्वाणपरमां मत्संस्थामधिगच्चति ॥१५॥

yuñjannevaṁ sadā'tmānaṁ yogī niyatamānasaḥ |
śāntiṁ nirvāṇaparamāṁ matsaṁsthāmadhigaccati ||15||
このように、常に自己を修練し、心を制御したヨーガ行者は、
涅槃を極致とし、私に内在する寂静に達する。
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