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コラム上ヨーガ講座(参考技法編)・バストリカ

2014.07.07 Monday

前回のコラムで、バストリカ(ふいご呼吸法)の時に起こる現象を書かせていただきました。意外に反響が大きくて驚いております。
そのため、今回はバストリカのやり方のご説明をさせていただきます。なお、この呼吸法はかなり高度であるため、実践用ではなく、参考技法としてご紹介いたします。
ヨーガ初心者の方には難しいので、独習は不可能ではありませんが、その場合は自己責任の範囲内で実践をお願いします。
なお、全てのバストリカを含むすべての呼吸法は、それぞれの指導者の考え方により、様々なやり方が存在します。そしてそれぞれのやり方全てに、技法としての魅力があります。

鼻先で大きな音を立てるようにして、鼻から息を激しく出し入れするという形がバストリカの基本的な形になります(そうでないやり方もあり得ます。)
バストリカは、カパーラバーティという浄化法とほぼ同じやり方をとっているところもありますが、まったく異なるやり方を採用している場合もあります。
実践の際、胸式での呼吸にならないように注意するといいかもしれません。
胸式になると頭にエネルギーが昇り易くなります。神秘体験をしたい場合には効果があるかもしれません。しかし、過呼吸により失神などの可能性も無いとは言い切れません。
心身を自分のコントロール下に置きたいと思われるのであれば、やはり腹式でやったほうがよいでしょう。

数呼吸ほどして、大きく息を吸い込んで止めます。苦しくなったら、ウッジャーイという呼吸法で息を吐いて行くのですが、お分かりにならない方は、「息をゆっくり吐く」でも大丈夫でしょう。

さらに高度な技法になれば、様々なテクニックを併用するのですが、基本的なやり方としては以上です。
説明するとシンプルですが、実際には相当高度なものです。私(ガネーシャ・ギリ)が教室でお教えしている方々で、バストリカが上手いと言える方は、この6年間で、まだ2~3人しかおられません。
しかし、たとえ50%の完成度であっても、実践の度に50%の効果が心身に沁み渡るのがヨーガの魅力でもあります。こつこつ実践されるのが肝要だと感じます。

バストリカは、ヨーガの技法の中でも特に古い歴史を持つもののひとつであると考えられます。ヨーガ実践者は時間をかけてもぜひ極めたい技法のひとつですね。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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バガラームキー女神巡礼とチベット仏教・シク教の聖地探訪の旅

2014.07.07 Monday

ガネーシャ・ギリ氏同行によるインド・ツアーのご案内です。

「バガラームキー女神の寺院からチベット仏教とシク教の聖地へ」

悪霊や敵を追い払い、心のトラウマやカルマを癒し、ロト(宝くじ)まで当てるご利益があると言われ、最強の呼び声高い、バガラームキー女神の寺院に詣でられる数少ない機会です。

さらに日本では受けられる機会の少ないチベット占星術と脈診で自分の未来を知ることができます。

黄金寺院では、錆びない純粋な鉄の腕輪を手に入れ、不幸を運ぶ星からの影響を除去しましょう。

最強の開運ツールとして自信を持ってお勧めします。

【旅行期間】
2014年12月24日(水)~12月31日(水) 8日間

【旅行代金】
338,000円 (6名様ご参加の場合)
298,000円 (10名様ご参加の場合)
※当初は6名様のご旅行代金をお支払いただきます※

詳細は以下リンクよりご覧いただけます。
http://www.tairikuryoyu.co.jp/special/ganesh-giri/2014-bagalamukhi/

心と行い

2014.06.30 Monday

ヨーガの修練において、その始めに説かれるものに、「ヤマ:禁戒」と「ニヤマ:勧戒」があります。それは、社会において守るべき事柄、そして自分に対して守るべき事柄として伝えられるものです。

ヤマ:他を傷つけない・ 正直である・盗みを働かない・不摂生をしない・貪欲にならない
ニヤマ:清浄を保つ・満足を知る・ 自分自身を鍛錬する・精神向上に努める・献身的である

ヤマ、ニヤマは、社会生活の中で私たち個人が努めるべくものであり、これは、座法であるアーサナよりも、呼吸法であるプラーナヤーマよりも、まず始めに努めるべくものとしてヨーガの聖典で説かれています。

日常の一つ一つの行いが積み重なり築き上げられる人生の中で、一瞬一瞬に感じたこと、思ったこと、それらは深く自身に内に留まり、人生に大きな影響を与えていると言います。

だからこそ、現在の一つ一つの行いを真摯に努め、幸せにあることで、その一瞬先は必然的により良いものとなることが、古くから伝えられてきました。しかし、さまざまに動き続ける心は、時に怒り、憎しみ、悲しみ、決して静まることがなく、常に至福に留まることは、決して容易いことではありません。

社会生活を営む中で、行いをすることを避けられない私たちに、ヨーガはまず、ヤマ、ニヤマという行動規範を示し、行いを通じ、私たちの心を律する術を述べています。ヤマ、ニヤマが、アーサナやプラーナヤーマよりも前に説かれるのは、心が身体に与える影響が、その逆よりもはるかに大きなものであるということかもしれません。

常に幸せに、そしてより良い行いを努めることは、ネガティブさを払い除け、自分自身の浄化ともなり得るものです。揺れ動く心によって時に見失ってしまう叡智が伝えるその真実も、繰り返し、繰り返し努めることで、自身の内にしっかりと確立されていくはずです。叡智の実践を常に心がけ、より良い日々を過ごすとともに、行いを通じた自分自身の浄化を努めていきたいと感じています。

(文章:ひるま)

ラタ・ヤートラー

2014.06.25 Wednesday

神聖な存在をより身近に感じる瞬間が、インドで過ごす日常には溢れています。偉大すぎて掴みがたいその存在も、インドの世界の中では不思議と親しみやすいものとして際立ち、人々を優しく迎え入れます。そんな神様の一人が、これから盛大な祝祭を迎えようとしているジャガンナータ神でした。

極彩色に彩られた姿、真ん丸とした大きな目、そして愛らしい表情が、一目見ただけで心の奥深くまでぐっと入り込み、大きな存在感を放っていたことを思い出します。ジャガンナータ神は、主に東インドで崇拝される、ヴィシュヌ神、もしくはクリシュナ神の化身とされる神様であり、最も盛大な祝祭が、6月29日に迎える「ラタ・ヤートラー」です。

ラタ・ヤートラーは、東インドに位置するオリッサ州の聖地プリーにて、豪華な山車が街を練り歩くお祭りとして知られています。一説に、悪行を働いていたカンサを打ち破ったクリシュナ神が、兄のバララーム神と妹のスバドラー神と共に山車に乗り帰還したことを祝福するお祭りであるといわれ、豪華絢爛な山車と共に進むジャガンナータ神の姿が多くの人々を惹きつけます。

そんな山車は馬車とも捉えられ、精神性を学ぶ上で多くの例えに用いられるものです。カタ・ウパニシャッドにおいては、「真我(アートマン)は車主であり、肉体は馬車、理性が御者、そして意思が手綱である。」(カタ・ウパニシャッド第3章3~4節)と、人の体、心、そして精神のあり方が述べられています。

苦楽を生み出す感覚器官に操られる肉体を、意志と言う手綱を持って導くことは、精神性を向上させるための道において、最も強調される努めるべく行いの一つです。その先にあるものは、体、心、そして精神の統一であり、乱れのないその小さな世界の中において、誰もが偉大な存在に気づくに違いありません。

ジャガンナータ神を乗せた一つの大きな山車が、集まった個々の手によって真っ直ぐに導かれる様子こそ、一人一人が偉大な存在の下に一つであることを物語っています。心が主に定まる時、そこにはいつの時も平安があることを私たち自身が証明しているかのように映ります。

祝祭を通じ、そうした精神性を向上させる教えが、一瞬一瞬に溢れているのがインドでの生活です。ラタ・ヤートラーは9日間に渡る祝祭です。インドの各地から、また世界の多くの場所で、この愛らしい神の下に人々が歩み寄り一体となります。そのエネルギーが生み出す平安が、世界を包み込むことを心から願っています。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Ratha-Yatra

日々の巡礼

2014.06.25 Wednesday

数多くの聖地が存在するインドにおいて、そして神々の存在が何よりも強く際立つその世界の中で、ヤートラーである巡礼は、現代においても欠かすことのできない行いの一つです。インドでは今でも、神々の下へと歩みよるその巡礼が、日常生活の一部に溶け込んでいます。

聖地には、崇高な存在が生み出すエネルギーが溢れています。そしてそれを何よりも神聖なものとするものに、古い時代から人々が捧げてきた祈りがあるように思います。神々が自分自身の内にあるということが、時を超え、太古の昔から言われてきたように、その個々の内から生み出される祈りが、平安な聖地を築き上げてきたのだということを、強く感じることがありました。

聖地へ歩み、崇高な存在を拝むことは、日常生活の中では決して達成されない域へと近づかせてくれるものです。限られたものだけを持ち、時には裸足でその域へと近づく時、自分自身の内からあらゆるものが消え去るからかもしれません。それは、自我が消え失せた究極の浄化でもあり、その静寂を得てこそ、聖地を経験できるのだとも感じます。そして最高の聖なる地とは、自分自身の内であるということを、スピリチュアリティ溢れる世界の中で幾度となく教えられました。

社会生活を営む私たちは、日常の行いを努める中で、自身を成長させる道を歩み続けています。嬉しいこと、悲しいこと、外界で起こるさまざまな出来事を通じ、その中心を探りながら、気づきによって自分自身を浄化する歩みでもあります。そうして内なる神が住まう神聖な場に歩み寄ることこそが、人生という巡礼であり修行に変わりありません。それはまた、より豊かな人生を送る術ともなるものです。

私たちが日々の中で実践する巡礼、自身の内の、崇高な存在へとたどり着くための歩みをしっかりと踏みしめていきたいと感じています。一瞬一瞬の歩みを見失わずに、そうしてたどり着く聖地を、自身の内と世界において生み出せるよう行いを努めています。

(文章:ひるま)
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