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聖典よりルドラークシャについての記述

2006.12.21 Thursday

ルドラークシャ(金剛菩提樹)については、多くの聖典によってその功徳が語られています。今回は、その中のひとつ、「シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム」から、ルドラークシャの数珠についての部分を紹介させて頂きます。

『シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム
第十一巻第五章
p. 1067 ルドラークシャの数珠について

1-14. イーシュヴァラは言った。
「カールッティケーヤよ。ここで、数珠をもちいてジャパム(マントラの復唱)を数える方法について述べよう。よく聞きなさい。ルドラークシャの中面はブラフマー、上部はシヴァ、そして下部はヴィシュヌである。ルドラークシャには二面の力がある。それは、モークシャ(解脱)のみならずボーガ(楽しみ)を与えるということだ。そして、刺々しく、赤く、白い、色の入り交じった五面のルドラークシャの実を、牛の尾のように、蛇が蜷局(とぐろ)を捲くように、二十五個結びなさい。数珠は、牛の尾のように、先端ほど細くなるようにすべきだ。数珠に実を結ぶに当たっては、ルドラークシャの平面(上面)が他の平面(上面)と向き合うように結んでいく。従って、一方の尾部(下部)が、もう一方の尾部(下部)あるいは細い端と向き合うことになる。メール(親玉、グル玉)は、ビーズの上面が上(外)を向くように繋ぎ、そこには飾り房をつけるべきである。このように結ばれた数珠は、マントラの成功をもたらす(マントラ・シッディ)。数珠が結ばれたとき、清涼な香水、パンチャガヴィヤ(牛の糞、牛の尿、カード、ミルク、ギーを混ぜたもの)に浸す。そして、聖水で洗い、濃密なマントラで浄める。シヴァ(六肢)のマントラ「フーム(Hum)」を唱え、数珠を収集する。それから「サディヨージャータ」などのシヴァのマントラを唱え、数珠の上に百八回聖水を振り注ぐ。そして主なるマントラを唱え、神聖な場所に配置し、それらにニャーサ(偉大な神シヴァと宇宙の母バガヴァティーを念想する)を行う。そうして、数珠のサムスカーラ(浄化)を行うことで、願望が成就されたことに気がつくだろう。所望の神々のマントラとともに、数珠を礼拝しなさい。ルドラークシャの数珠を頭、首、耳に身につけ、自制し、数珠をもちいてジャパム(マントラの復唱)を行うべきである。首、頭、胸、あるいは耳、腕に、偉大な帰依心をもって数珠を身につけるべきである。その効能については、何度繰り返す必要があろうか。それは非常な功徳があり、ルドラークシャを常に所有することは称賛に値する。

p. 1068

入浴しているとき、贈り物を作るとき、ジャパムを行うとき、ホーマを捧げるとき、ヴィシュヴェー・デーヴァに犠牲を捧げるとき、デーヴァのプージャーを行うとき、プラーヤスチッタム(苦行)を行うとき、儀式を行うとき、ルドラークシャを所有することは必須である。ルドラークシャを身につけずに、ヴェーダの儀式を行うブラーフミンは、地獄へ堕ちるだろう。注意しなさい。それはシヴァへ侮辱を捧げていることになる。

15-29.
金や宝石と一緒に、真のルドラークシャを、頭、首、または腕にもちいるがよい。その他の部分には決して使用してはならない。ルドラークシャは常に帰依心とともに使用しなさい。決して不純な時に使用してはならない。ルドラークシャの木に触れる草でさえ、永遠に天国へ行くことができる。シュルティ(天啓経典)において、ジャーバーラ・ムニは述べている。
ルドラークシャを身につけている人が罪を犯すならば、彼はその罪から救済されよう。動物でさえ、ルドラークシャを所有するものはシヴァとなる。人間ならば、なおさらのこと!
シュリー・ルドラ(シヴァ神)の帰依者は、頭に少なくとも一つのルドラークシャを着けるべきである。ルドラークシャを身につけるこのような偉大な帰依者は、最高位の名誉を得、あらゆる種類の罪と痛みから解放される。ルドラークシャで飾られた帰依者は、最高の帰依者である。幸福を望む人々は、ルドラークシャを身につけるべきである。耳、頭頂、首、手、胸にルドラークシャを身につける者は、ヴィブーティ(顕現、力)として、ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュヴァラ(シヴァ)に達する。デーヴァ、そしてゴートラ(家族)、アーディプルサス(親族の長)のすべてのリシたちは、敬意をもってルドラークシャを所有した。彼らの子孫にあたるすべてのムニ(修行者)たち、ダルマに従う者、純粋な魂の持ち主は、ルドラークシャを所有した。多くは、このヴェーダにもよく記された、明かな解脱の享受物を所有したいと思わないかもしれないが、多数の転生を繰り返し、マハーデーヴァの恩寵のために、大部分はルドラークシャを所有したいと欲するようになる。ジャーバーラ・サーキーのムニたちは、ルドラークシャの計り知れない偉大さについて、詳しく述べることで有名である。

ルドラークシャを所有することの効果は、三界によく知れ渡っている。プニャム(偉大な功徳)は、ルドラークシャを一瞥するだけで生じる。それに触れることで、一千万倍の功徳が生じる。それを身に着けることで、十億倍の功徳が生じる。そして、それをもちいて毎日ジャパム(マントラの復唱)を行うことで、十億倍のさらに一千万倍の功徳が生じる。これに関しては、疑問の余地がない。

p. 1069

30-36. 手、胸、首、耳、頭にルドラークシャを身につける者は、ルドラの御姿となる。これについて、疑問の余地はない。ルドラークシャを所有することによって、全生物の中の不死者と化し、デーヴァとアスラたちに、マハーデーヴァのように尊敬され、そして、ルドラのように地上を徘徊するのだ。常習的に邪悪な行いを為し、あらゆる種類の罪を犯す人でさえも、ルドラークシャを所有することによって、すべてから尊敬される。これによって、過去の罪、そしてあらゆる種類の罪から解放される。もしあなたが、ルドラークシャの数珠を犬の首にかけ、その状態で犬が死ぬならば、犬は解脱へと達するのだ。人間については、なおさらのことである。ジャパム(マントラの復唱)やディヤーナム(瞑想)を欠いていても、ルドラークシャを所有することによって、すべての罪から解放され、最高の境地へと達する。マントラ・シャクティで浄化され、祈念の込められたたった一つのルドラークシャの実を所有するだけでも、彼は二十一世代にわたり高揚し、天界に達し、そこで尊敬を受け暮らす。ここで、ルドラークシャの偉大さについて、さらに話をすすめよう。

※ここで、マハールシ・ヴェーダ・ヴィヤーサによる一万八千詩節のマハー・プラーナム・シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム第十一巻第五章、ルドラークシャの数珠についてを終わる。』

ここで紹介されている数珠は、ルドラークシャの頭と頭が向き合うように数珠をつなぐといいと言われています。しかしこれは、ルドラークシャ・カンタ・マーラー(5面、32+1ビーズ)などのネパール産ルドラークシャの数珠は、注意して見ると、実際にそのようにつながれているのが分かります。
また、牛の尻尾のように先端に行くほど細くなる数珠の一例としては、インドラ・マーラーなどがあげられると思います。
聖典の中でも、ルドラークシャの記載はバラエティーに富んでいて、とても興味深いですね。

参照:
http://www.sacred-texts.com/hin/db/bk11ch05.htm

サイババ・ジャヤンティ

2006.11.23 Thursday

本日11月23日は、シュリー・サティヤ・サイババ・ジャヤンティ(誕生祭)です。インドで現存している聖者の中では、おそらくもっとも有名な聖者だと思われますが、日本や西欧諸国ではスキャンダル報道が先行し、あやしいと感じる方も多いと思われます。

わたしたちが手に入れた情報を判断する場合、その情報は本当に信頼できるソースからのものであるかどうか、まず周到に確認する必要があります。インターネットの世界では、数多くの情報が氾濫していますので、正確な情報を探し出すというのは非常に難しい作業です。
例えば、学術研究者であれば、さまざまな理由から、個人の作成したサイトをそのまま信用することはまずありません。そのような情報は、概して誤りが多く、学術的な情報として信用するに足らないからです(このサイトもご注意ください(笑))。

多くのメディアは、視聴率や本や雑誌の販売部数に重点をおいているために、正確な情報を伝えるという本来の使命が失われつつあります。そのため、他人のスキャンダルやうわさ話など、わたしたちが本能的に飛びつく情報を優先的に流しがちになります。一部の週刊誌や新聞などの報道記事を巡る訴訟が常に絶えないのは、すべてがそうとは限りませんが、メディアの本来の正確な情報を流すという役割を失った結果であると考えることもできるでしょう。

ここでは最終的な結論は出すに至りませんが、サイババの報道を巡る在り方も、内容をよく吟味し、真偽は自身で判断するしかないと思われます。
そのための判断材料として、代表的な反サイババ・サイトと、その疑惑について反論している擁護サイトを、参考までに掲載いたします(英語)。

反サイト http://www.exbaba.com/
擁護サイト http://www.saisathyasai.com/

インド、プッタパルティのアシュラムでは、アブダル・カラム大統領もかけつけ、盛大に誕生祭が行われたようです。



アシュラムでのニュース記事:
http://www.puttaparthilive.com/news.html

シルディ・サイババの誕生日はいつ?

2006.10.02 Monday

9月28日(あるいは27日)は、シルディ・サイババの誕生日であるといわれています。日本人がサイババと聞くと、まずサティヤ・サイババを連想する方が多いと思いますが、インドでは、サイババというと普通はシルディ・サイババのことを指します。
しかし、実はこのシルディ・サイババの出生は謎とされていて、シルディ・サイババ寺院などでも、シルディ・サイババの降誕祭などが催されることは現在もありません。

ではなぜ、9月28日(あるいは27日)がシルディ・サイババの誕生日として広まったのでしょうか?
それは、シルディ・サイババの生まれ変わりといわれるサティヤ・サイババが、その講話の中で、シルディ・サイババの出生の秘密を詳細に述べたことからはじまります。シルディ・サイババ本人でないとわからないようなことにも言及していることから、サティヤ・サイババがシルディ・サイババの生まれ変わりであると広く受け入れられるようになりました。
この根拠のひとつに、シルディ・サイババが、「私は8年後に再び生まれ変わる」と預言してその生涯に幕を閉じ、そのちょうど8年後の1926年にサティヤ・サイババが誕生したことがあげられます。

しかし、シルディ・サイババ信者からしてみれば、サティヤ・サイババが自らをシルディの生まれ変わりと称していることに大変ないらだちを感じる人も少なくありません。2005年11月、サティヤ・サイババ生誕80周年記念式典に並行して計画されていたシルディ・サイババの降誕祭をきっかけに、シルディ・サイババの信者たちがサティヤ・サイババの信者を訴えたという記事があります[1]。その後も、シルディ・サイドは、サティヤ・サイドにシルディの生まれ変わりと称さないよう要求しています。

シルディ・サイババも、サティヤ・サイババも、ヒンドゥー教の世界観に基づいた普遍的真理を説いているにもかかわらず、それを信仰する人々との間で対立が絶えることがありません。また大局的にみても、同じ真理を説いているにもかかわらず、宗教間での対立が絶えることはありません。そこに宗教すなわち神を信じることの難しさが潜んでいるようにも思えます。

宗教では、同じ文献を参照しても、解釈する人々の意識により、その意味はどのようにも理解することができます。真に正しい解釈は、まさに「神」のみにしかできないでしょう。
それとは逆に、すべての人々が同じ解釈に達することができるのが、現代の自然科学です。さまざまな解釈や仮説が提案されることはあっても、幾多の議論や実験を通して理に適わないことは排除され、最終的には共通の真理のみが受け入れられます。
自然科学的な真理は、わたしたちの生活の中でも大いに活用されていることから、この真理を否定できる人はいないでしょう。

しかし、どちらの「真理」も、偏りすぎることで真理ではなくなってしまいます。

宗教的な「真理」についてみれば、聖典を解釈する意図、目的、意識によって、真理がゆがめられる可能性があります。たとえば、信者を獲得しようとする意図があれば、教祖は聖典を自分に都合のよいように解釈しないとも限りません。
また自然科学的「真理」については、物質論的な観点ではその右に出るものはありませんが、物質主義に偏りすぎることは、思考に偏りを生じる原因ともなり得ます。この偏りをどう捉えるかにもよりますが、数の原理、損得の原理にとらわれすぎると広い意味での真理がゆがめられることになるでしょう。

サティヤ・サイババは、その講話の中で、シルディ・サイババの誕生日について言及しています。1990年に行われた講話の中では、シルディ・サイババは、1835年9月28日に生まれたと述べています[2]。しかし、1992年9月27日に行われた講話の中では、シルディ・サイババは1838年9月27日に生まれたと述べています[3]。
このような論理的矛盾を巧みに突くことで、サイババは「真理」を述べていないと主張することも可能です。しかしそのような主張にも、なんらかの偏りを感じずにはいられません。

ヒンドゥー教では、火の神アグニ、風の神ヴァーユなど、自然の摂理を人格化し、それを神として崇める習慣があります。その神々は、多種多様な人格をもち、わたしたちの感覚でみても必ずしも完璧な人格の持ち主であるともいえません。しかし、インドでは、そのような必ずしも完璧でない人格の神々を、真心を込めて崇拝します。それはわたしたち日本人が、自然の中に神を見出す感覚に優れているのと同様に、インド人は多種多様な性格をもった人格の中に神を見出す感覚に優れている証でもあります。

「すべてのものの中に神が宿る」−これはヒンドゥー教の聖典に共通して述べられている言葉です。神は善人に多く存在するものでもなく、邪悪なものに存在しないということでもありません。すべてのものに共通して神が浸透しているということを意味しています。この言葉の真意を理解することができれば、宗教間の対立、個人の争い、または論争の種をまき散らすようなことはなくなるでしょう。

わたしたちの視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感、または知性で感じ得られるものに絶対の真理を投影しようとすると、そこにはなんらかの矛盾が生じます。本当の真理は、わたしたちの五感では悟り得ないところ、知性を超越したところに存在しているのかも知れません。

ダシャラー(ヴィジャヤーダシャミー)の祝日
本日はナヴァラートリ10日目にあたるダシャラー(ヴィジャヤーダシャミー)の吉日になります。
ダシャラー(Dussera)はダサラ(Dasara)と混合してしまいがちなのですが、ダサラ(Dasara)祭は、前回のブログで紹介したナヴァラートリとも呼ばれる、10日間のヒンドゥーの祭典のことを指します。ダシャラー(Dussera)は、そのお祭りのクライマックスである10日目の祝日を指します。Dasaraをダシャラーと読んだり、Dusseraをドゥッセラーと読んだり、読み方が統一されていないためにどの読みが正しいのか不明確ですが、学術的な辞典を参照するとDusseraの読みがダシャラーとなっていますので、ここでは、Dusseraをダシャラー、Dasaraをダサラとして区別することにしました。

今日ダシャラー(ヴィジャヤーダシャミー)の吉日に、お祭りは最高潮に達し、悪魔ラーヴァナの像が各地で燃やされ、善の勝利(ヴィジャヤ)がお祭りされます。ぜひこの吉日を祝して、日々、心の中で行われている善と悪の戦いの中で、善が勝利を収められることができるように、心を律してみるとよいかもしれません。

[1]Sai Baba Exposed
http://saibabaexposed.blogspot.com/2006/01/sai-baba-devotees-sued-by-sai-baba.html
[2]Sai Baba Discourse on 1990.Sept.28
http://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume23/sss23-28.pdf
[3]Sai Baba Discourse on 1992.Sept.27
http://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume25/sss25-31.pdf

ガネーシャ・チャトルティー

2006.08.27 Sunday

本日は、ガネーシャ・チャトルティーの日です。
ガネーシャ・チャトルティーは、バードラパダ月の月が満ち始めて4日目(チャトルティー)に行われるガネーシャの降誕祭であり、テルグーではヴィナーヤカ・チャトルティーともいわれています。
インドの家庭では、新しく買ってきたガネーシャの像に毎日、2日〜10日間にわたって、甘いお菓子やお花を捧げ、プージャーを行い、最終日には神像を水に沈めます。

像の頭をもつガネーシャ誕生の秘密にはいくつかの物語がありますが、以下にインド神話伝説辞典[1]より引用してご紹介いたします。

『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』(ガナパティ章)より
「ガネーシャはあるとき母のパールヴァティーの水浴の番を命じられていたが、そこに入ろうとした父シヴァ神をもしりぞけた。激怒したシヴァはガネーシャの首を切り落とした。パールヴァティーが息子の死を嘆き悲しんだので、シヴァは妻を慰めるために息子を生き返らせることを約束し、最初にそこを通りかかった象の頭をつけてしまった。」

『ウッタラ・ラーマヤナ』より
「シヴァの神妃パールヴァティーは夫とともに猿の姿となって森の中で睦み合っているうち身籠もった。するとシヴァは妻の子宮の中から自分の精子を取り出して風神ヴァーユに与えた。ヴァーユはそれをアンジャナーの胎内に入れると、たちまち身籠もってハヌマーンが生まれた。シヴァが像の姿となるとパールヴァティーも雌の象となって男の子を産み、ガナパティと名づけた。」

ガネーシャは仏教では大聖歓喜天、聖天として知られています。日本でも有名なこの愛しい姿をしたガネーシャ神を、今日この日、新たな気持ちでお迎えするとよいかもしれません。

インドで奇跡続出!?
プッタパルティでの「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」は2006年8月20日で終了いたしましたが(次回は来年1月にチェンナイで行われる予定です)、その最終日に前後して、インドで起こった奇跡の話題が世界中のメディアを騒がせています。

日本でも報じられたニュースを以下のリンクに掲載します。

海水の水が甘くなった
聖人の奇跡?「海水が甘い」と住民殺到 インド西部 (産経新聞 2006.8.19)
インドで奇跡!?「海水が甘くなった」と数千人が海岸に殺到(サンケイスポーツ 2006.8.19)
【こぼれ話】「甘い海水」求め海岸に住民殺到=聖人の奇跡?―インド(時事通信 2006.8.21)

神像がミルクを飲んだ
インド、神々の像がミルク飲む「奇跡」(ロイター 2006.8.21)
インドでまた「奇跡」 今度は牛乳(ロイター 2006.8.23)

またさらに、最新のニュースとしては、8月25日木曜日の夜、グジャラート州スラトのビルの壁面に、サイババが出現し、通行人が大騒ぎになったとの話題で盛り上がっています。

サイババが壁面に「出現」(タイムズ・オブ・インディア 2006.8.25)
壁にあられたサイババの顔をみようと数百人が殺到(ジーニュース 2006.8.25)
今度はスラトでサイババの奇跡(グジャラート・グローバル・ニュース 2006.8.25)

物質社会にどっぷりと浸かっている私たちにとっては、このような奇跡ともとれる現象には心が奪われてしまいます。しかし、聖人たちは、われわれがこのような変化に一喜一憂して騒ぎ立てるたびに、次のように嘆いているかもしれません。
「あなたのハートの甘露をもってすれば、辛い海水も砂糖水のように甘くすることはたやすい。神像にミルクを与えるならば、隣人に愛というミルクを与えることの方がどれほど尊いことか。あなた方が奇跡と騒ぎたてるものは、とるに足らない表象の変化を追ったものにしかすぎない。最大の奇跡は、あなた方の内面の変化に他ならないのだ。」と。

[1] 菅沼晃編、「インド神話伝説辞典」東京堂出版

クリシュナ・ジャンマーシュタミー(御生誕祭)

2006.08.20 Sunday

2006年8月16日、ヴィシュヌ神の第8番目の化身とされるクリシュナの御生誕祭が行われました。ジャンマーシュタミー(ジャンマ[生誕]+アシュタミー)とはクリシュナの誕生日の意味であり、その他、ゴークラ・アシュタミー、クリシュナ・ジャヤンティー(誕生祭)とも呼ばれています。アシュタミーとは、8番目の意味であり、ヒンドゥーの暦で、シュラーヴァナ月(七月〜八月)、アセンダントがローヒニーの時、月が欠けはじめて第8日目の夜にクリシュナが誕生したことからこのようにいわれています。

クリシュナの生誕については「バーガヴァタ・プラーナ」に詳述されています。その一部を『インド神話』(上村勝彦著、ちくま学芸文庫)[1]を参照してご紹介いたします。

『悪魔どもは暴虐な王の姿をとって地上に出現した。
大地の女神は彼らに苦しめられ、牝牛に姿を変えて梵天に救いを求めた。
梵天はシヴァをはじめとする神々をつれて乳海の岸に行き、瞑想して最高神プルシャ(ヴィシュヌ神)を崇拝した。
梵天は瞑想のうちに天の声を聞いて神々に告げた。

「最高神はヴァスデーヴァの家に生まれるであろう。
天女たちは彼を楽しませるために、(牛飼女として)地上に生まれなさい。
ヴィシュヌ神の一部分であるアナンタ竜は彼の兄として生まれなさい。
聖なるヴィシュヌのマーヤー(幻力)も、主の目的を成就させるために地上に下るであろう。』

クリシュナの生まれた時代は、世界を支配する王が悪魔であったとされ、人々は王の暴政に悩み悲しんでいました。
そのため、人々の願いに応え、ヴィシュヌ神自身が悪魔を滅ぼすためにクリシュナとして地上に降誕しました。

『ある夜、ヴィシュヌ神は、当方に昇る満月のように、デーヴァキーの胎内より出現した。その子はヴィシュヌ神の特徴をことごとくそなえていた。……』

幼児期のクリシュナは、さまざまなリーラー(神の戯れ)が言い伝えられています。

『やがて幼児の誕生日がおとずれ、ヤショーダー[クリシュナの養母]は祝宴の準備でいそがしく働いていた。
幼児は母の乳を吸いたかったが、彼女が来ないので大声で泣き、怒って足をばたばたさせて、そばにあった車を遠くまで蹴とばしてしまった。
車がぶつかって多くのものがこわれた。
ヤショーダーたちは驚いて駆けつけた。
そばにいた子供たちが、この幼児が車を蹴とばしたと言ったが、牛飼いたちは信ずることができなかった。

またある日、ヤショーダーが幼児を膝にのせていると、突然その子が山のように大きくなったので、彼女は驚いてその子を地面に置き、最高神に祈念してバラモンたちを呼びに行った。
ちょうどその頃、カンサに派遣されたトリナーヴァルタという名の悪魔が旋風の姿をとってそこへやって来た。
人々が埃のために何も見ることができないでいる間に、旋風は幼児をさらっていった。
ところが、幼児を運んで空を飛んでいるうちに、悪魔は幼児の異常な重みに耐えることができなくなり、幼児を放そうとしたが、その子は彼の首にしっかりと抱きついて離れなかった。
悪魔はついに地上に墜落し、岩にぶつかって死んでしまった。

またある時、ヤショーダーは幼児に乳を飲ませていた。
子供が乳を飲み終わり、母がやさしく笑ってその顔をなぜていると、その子はあくびをした。
ところが、ヤショーダーは、その子の口の中に、空・星々・太陽・月・海・大陸・山々など、ありとあらゆる世界を見たのであった。
彼女は幼児の口の中に宇宙を見て仰天し、両眼を閉じてしまったものだ。
(『バーガヴァタ・プラーナ』10.5-7)』

クリシュナは実在の人物であるといわれておりますが、そのクリシュナが織りなす奇跡の数々は魅力に満ちあふれ、クリシュナの本質を体現しているようです。クリシュナは、彼の人々を惹きつけて止まないその愛の本質により、いまなお世界中の人々を魅了し続けています。

「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」追記
前回お伝えいたしました人類の平安と繁栄を祈願して行われている「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」についてですが、一部誤解を生む表現がございましたので、ここに追記させていただきます。
「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」の僧侶団代表であるシュリー・ナンジュンダ・ディキシット氏の講話で、次のような解説がございました[2]。
「一人がルドラ(ナマカと思われる)を11回とチャマカを1回唱えると、ルドラとなる。それを11倍するとルドライエーカーダーシニー(エーカーダシャ・ルドラム)となる。さらにそれを11倍すると、マハー・ルドラとなる。マハー・ルドラを11倍すると、アティ・ルドラとなる。1,331人の僧侶が、一日のうちに11回のルドラとチャマカを1回唱えると、アティ・ルドラとなる。あるいは、11人の僧侶が、121日間それを続けるとアティ・ルドラとなる。……」

今回プッタパルティでは、121人の僧侶によりルドラムが朗誦されているようですので、11日間ルドラムを唱え続けるとアティ・ルドラムとなることになります。
アティ・ルドラムは合計14,641回のナマカムと、1,331回のチャマカムを唱えることですが、一人一人の僧侶が14,641回のナマカムと1,331回のチャマカムを唱える必要はなく、僧侶の人数によって唱える回数を割ることができるようです。

誤解を招いてしまいまして申し訳ございませんでした。プッタパルティでのアティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャは、本日で終了いたします。占星学的にも霊性修行に適した日であるとされておりますので、この一日を瞑想やジャパなどで過ごし、神聖な想いで満たすとよいかも知れません。

[1] 村上勝彦著,『インド神話』,ちくま学芸文庫,2003
[2] Athi Rudra Maha Yajna: Day One - 9th Aug 2006,
Elaborate Report on the Afternoon Session,
http://www.sssbpt.org/Pages/reports/armyreportfirstday.htm
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