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ガネーシャ・チャトゥルティー by スワミ・シヴァーナンダ

2008.09.02 Tuesday

明日9月3日から、ガネーシャ・チャトゥルティー(ガネーシャ降誕祭)が始まります。熱心な信奉者は、14日(日)まで続く12日間、毎日ガネーシャ神に祈りを捧げる盛大な祭典です。

ここに、ガネーシャ・チャトゥルティーについて、スワミ・シヴァーナンダのお話をご紹介します[1]。

『至高神であり、シヴァ神の活力であり、祝福の源泉であり、美徳そしてあらゆる試みの成功を授けるブラフマー自身であるガネーシャに礼拝します。

ムシカヴァーハナ・モーダカ・ハスタ
チャーマラ・カルナ・ヴィランビタ・スートラ
ヴァーマナ・ルーパ・マヘーシュワラ・プトラ
ヴィグナ・ヴィナーヤカ・パーダ・ナマステー

意味:
「ヴィナーヤカ神よ!障害を取り除かれる、小柄なシヴァ神の息子。
ねずみを乗り物とし、甘いお菓子を手に持ち、大きな耳と長い鼻を持ったお方。
あなたの蓮華の御足にひれ伏します!」

ガネーシャ・チャトゥルティーは、インドのお祭りの中でももっとも人気のあるお祭りのひとつです。この日は、ガネーシャの誕生日にあたります。これは、ガネーシャにとって、もっとも神聖な日となります。インドの太陰太陽暦では、バードラパダ月(8月〜9月)の新月から4日目にあたります。このお祭りは、インド国内はもちろんのこと、ガネーシャを信奉する世界中の人々によって祝福されます。

このお祭りでは、土のガネーシャ像が作られて、2日間から地域によっては10日間お祈りが捧げられた後、川に流されます。

ガネーシャ神は、象の頭をした神様です。そして、お祈りの最初にまず崇められます。神聖な仕事がされる前、さまざまな祈祷が行われる前には、ガネーシャの御名が最初に唱えられます。

ガネーシャは、力と英知の神様です。ガネーシャは、シヴァ神の長男であり、軍神スカンダ(カールッティケーヤ)の兄にあたります。ガネーシャは、シヴァ神の源泉であるため、シャンカラとウマー・デーヴィーの息子ともいわれます。母親にとって、ガネーシャ神を礼拝することは、子供たちにガネーシャのような美徳を身につけてほしいとの願いが込められます。

次の物語は、象の頭をどのようにしてもつようになったかという、ガネーシャの誕生にまつわるお話です。

昔、ガウリー女神(シヴァ神の妃)が沐浴をしている時、彼女の身体から出た垢から、真っ白なガネーシャを作り、家の玄関に置きました。彼女は、自分が沐浴をしている間は、決して誰も中に入れてはならないと、ガネーシャに言い聞かせました。すると、そこへシヴァ自身が、急いで家に帰ってきましたが、玄関でガネーシャに止められてました。シヴァは怒り、ガネーシャを門外漢だと思い込んで、彼の首を切り落としてしまいました。

それを知ったガウリーは、悲哀に暮れました。彼女の悲しみを慰めるために、シヴァ神は家来たちに、北を向いて寝ている生き物を探し出し、その生き物の首をここへ持ってくるよう命令しました。家来たちはさっそく行動に移し、象だけがその方向へ向いて寝ているのを見つけました。こうして象が生贄となり、象の首がシヴァに届けられました。すると、シヴァ神は、象の首をガネーシャの身体につなぎ合わせました。

シヴァは、仕事、結婚、旅行、学問、その他すべての行為の始めに、ガネーシャを礼拝の対象にするようにしました。そして、毎年、バードラパダ月(8月〜9月)の新月から4日目に、ガネーシャの礼拝を行うことを定めました。

ガネーシャの恩寵と援助がなければ、どのような試みも達成することができません。私たちのすべての行為は、ガネーシャの援助、恩寵、祝福によって支えられています。

マハーラーシュトラの子供たちは、アルファベットの最初のレッスンは、「オーム・シュリー・ガネーシャーヤ・ナマハ」という、ガネーシャ神のマントラ(真言)から始まります。そうしてはじめて、アルファベットが教えられるのです。

次の名前は、ガネーシャ神に共通の名前です。
ドゥームラケートゥ、サンムカ、エーカダンタ、ガジャカルナーカ、ランボーダラ、ヴィグナラージャ、ガナーディヤクシャ、パラチャンドラ、ガジャーナナ、ヴィナーヤカ、ヴァックラトゥンダ、シッディヴィナーヤカ、スールパカルナ、ヘーランバ、スカンダプールヴァジャ、カピラー、ヴィグネーシュヴァラ等。そして、ガネーシャ神は、マハー・ガナパティとしても知られています。

ガネーシャ神のマントラ(真言)は、「オーム・ガン・ガナパタイェー・ナマハ」です。ガネーシャを守護神として信奉する霊性修行者は、このマントラか、または「オーム・シュリー・ガネーシャーヤ・ナマハ」のマントラ(真言)を繰り返し唱えるとよいでしょう。

ガネーシャの信奉者は、次のガネーシャ・ガーヤトリー・マントラのジャパを行うこともできます。これは、次のようになります。

タットゥ・プルシャーヤ・ヴィッドゥマヘー
ヴァックラトゥンダーヤ・ディーマヒー
タンノ・ダンティ・プラチョーダヤートゥ

ガネーシャ神は、英知と至福の化身です。ガネーシャ神は、ブラフマチャリヤ(自己実現を探求する独身者)たちの神様であり、禁欲主義者にとってもっとも重要な神様です。

ガネーシャ神は、小さなネズミを乗り物としています。ガネーシャ神は、クンダリニー・シャクティが宿り、身体の霊的中枢であるムーラーダーラ・チャクラに安住する神様です。

ガネーシャ神は、霊性修行者が歩む道のすべての障害を取り除き、霊的な成功はもちろん、世俗的な成功を授ける神様です。そのため、ガネーシャ神は、ヴィグナ・ヴィナーヤカと呼ばれます。ガネーシャ神のビージャ・アクシャラ(種子)は、「ガン(Gung)」です。これは英語の「sung(singの過去分詞形)」と同韻を踏む発音になります。彼は、調和と平安の神様です。

ガネーシャ神は、ヒンドゥー教徒の間で主要なマントラである「オーム」すなわちプラナヴァ(原初音)を示します。これを唱えることなしには、何事も行うことができません。これは、あらゆる儀式や計画の前に、ガネーシャ神を召喚するための習慣です。ガネーシャ神の2本の足は、知識と行為の力を示します。象の頭は、自然の造詣の中で、オームを象徴している唯一のものとして、重要な意味を持ちます。

ガネーシャ神がネズミを乗り物とする意義は、エゴを完全に克服することです。アンクシャ(槍のような武器)を手に持つ姿は、ガネーシャ神が世界の支配者であることを示し、これは、神々の王族の紋章でもあります。

ガネーシャ神は第一番目の神様です。自然の中でもっとも小さい生き物のひとつであるネズミに乗り、すべての動物の中でもっとも大きい象の頭をもつことは、ガネーシャ神がすべての動物の創造者であることを意味します。象はとても賢い動物です。これは、ガネーシャ神が英知の象徴であることを示します。またネズミは、進化して象になり、最終的に人間になるように、進化の過程を意味します。ガネーシャ神が、人間の身体や象の頭を持ち、ネズミを乗り物とすることには、このような理由があります。これが、ガネーシャ神の姿の哲学的象徴です。

ガネーシャ神は、元素のグループ、感覚のグループなどのガナ(群)の神様です。ガネーシャ神は、シヴァ神の従者の長であり、シヴァ神の最高の家来になります。

ガネーシャ神は、ヴァイシュナヴァ派の信奉者たちにも礼拝されます。彼らはガネーシャ神を、象の鼻をもつ神様という意味のトゥンビッカイ・アルワールと呼びます。

ガネーシャ神の持つ2つの力は、クンダリニーとヴァッラバすなわち愛の力です。

ガネーシャ神は、甘いプディング菓子(甘い中実が詰まった米粉の饅頭)が大好物です。誕生日には、ガネーシャ神は甘いお菓子の供物を受け取りに、家から家へと渡り歩きます。たくさんのお菓子を食べ、夜も更けたとき、ガネーシャはネズミに乗って出発します。しかし突然、蛇が襲いかかってきたのを見たネズミがつまずいてしまい、ガネーシャはネズミから落ちてしまいました。その衝撃で、ガネーシャのお腹は破裂し、詰め込んだ甘いお菓子が全部外に飛び出てしまいました。しかし、ガネーシャはそのお菓子をお腹に再び詰め込むと、蛇を捕まえ、彼のお腹に縛り付けました。

この一部始終を見ていた夜空の月は、腹の底から大笑いしました。ガネーシャは、月の失礼な態度に腹を立て、彼の牙の一本を月に向かって投げつけました。そして、ガネーシャ・チャトゥルティーの期間は、誰も月を見てはいけないと呪いをかけたのです。もし誰かが月を見るようなことがあれば、悪名や批判、不運は避けられないだろうと……。しかし、この期間に間違って月を見てしまった場合は、スヤマンタカ宝に関するクリシュナの逸話を聞いたり、読んだりすることが、呪いを解く唯一の方法だといわれています。この逸話は、シュリーマド・バーガヴァタムに引用されています。ガネーシャ神はこの取り決めを喜びました。帰依者たち優しく、慈愛に満ちたガネーシャ神に栄光あれ!

ガネーシャと彼の兄弟であるスブラマニヤは、かつてどちらが年長者であるかで競ったことがあります。事態は、シヴァ神の最終的な判断に委ねられました。シヴァは、宇宙を一周して、先にこの出発点に戻ってきた者を、年長者とすると決めました。スブラマニヤは、彼の乗り物であるクジャクに乗って、すぐに宇宙を周り始めました。しかし、賢いガネーシャは、尊敬の念を持って、彼の両親の周りを一周すると、勝利を求めました。

シヴァ神は問いかけます。
「賢い最愛のガネーシャよ。お前は宇宙を一周していないのに、どうして勝利を要求するのか?」
ガネーシャは答えました。
「私は両親の周りを一周しました。両親は全宇宙を象徴しています!」

こうして兄弟論争はガネーシャの勝利で幕を閉じ、その後、2人の中でガネーシャが長男として知られるようになりました。母のパールヴァティーは、賞品として、ガネーシャにフルーツを与えたといいます。

ガナパティ・ウパニシャッドでは、ガネーシャは至高神と同一と見なされます。ガネーシャにまつわる伝説は、ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナのガナパティ章に記されています。

ガネーシャ・チャトゥルティーの日は、早朝のブラフマムフルタの神聖な時間帯に、ガネーシャ神にまつわる神話を瞑想しなさい。それから、沐浴をした後、寺院に行き、ココナッツや甘いお菓子とともに、ガネーシャ神に祈りを捧げなさい。愛と信仰をもって祈りを捧げることで、ガネーシャは霊的な進化の過程で経験するすべての障害を取り除いてくれるでしょう。家でもお祈りを捧げることです。パンディット(僧侶)の援助を得てもよいでしょう。ガネーシャ神の絵や写真、神像を家に飾り、ガネーシャがそこにいるように感じなさい。

この期間に月を見てはいけないということは、忘れてはいけません。ガネーシャ神に失礼な行為になります。この行為の真意は、この日から神を冒とくしたり、あなたの霊的な師や宗教を蔑む信仰のない仲間たちを避けなさいという意味があります。

心新たに霊的な決意をし、あらゆる試みで成功するための精神的な強さをガネーシャ神に祈りなさい。

ガネーシャの恩寵が、すべての人々に降り注ぎますように。
ガネーシャが、あなた方の霊的道程に立ちふさがるすべての障害を取り除きますように。
そして、あなた方に精神的成就のみならず、物質的な豊かさがもたらされますように。

スワミ・シヴァーナンダ』

ガネーシャ・チャトゥルティーでは、期間中にお世話になったガネーシャ神像を最終日に川に流します。そのため通常は土でできたガネーシャ神像を特別に買い求め、その期間中はその土のガネーシャ神像を礼拝することが行われています。

ガネーシャ・チャトゥルティーを本格的にお祝いしたい方は、日本では土製のガネーシャ神像を入手することは難しいと思いますが、次のビデオなどを参考にして、粘度でガネーシャ神を造ってみるのも面白いかもしれませんね。





このようにして造られたガネーシャは、きっと愛着のわく素敵なガネーシャになるでしょう。もちろん、すでにお持ちのガネーシャ像にお祈りを捧げてもよいと思います。
どうぞガネーシャとともに、楽しいガネーシャ・チャトゥルティーをお過ごしください。

参照
[1]Sri Swami Sivananda, Ganesh Chaturthi, http://www.dlshq.org/religions/ganesh.htm
[2]SitaRamaブログ, ガネーシャ・チャトゥルティー, http://blog.sitarama.jp/?eid=297450

クリシュナとキリストの共通点

2008.08.23 Saturday

クリシュナは、紀元前に実在したとされるヴィシュヌの第8番目の化身です。そして、イエス・キリストは、西欧を中心に救世主と崇められる「神の子」です。しかし、クリシュナとイエス・キリストにはさまざまな類似点があることは、以前から指摘されていました[1]。

・両者の名は、ともに「K」と「R」の音で始まっています(「クリ」と「キリ」)。
・クリシュナは牢獄で、キリストは馬屋で生まれ、ともに子を産む場所としては不適切な場所でした。
・両者ともに王族の血筋を継いでいましたが、正義を復興するために生まれた「神の子」に、当時の王が自らの地位を脅かされることを恐れ、同時期に生まれた子を皆殺しにしようとした点なども一致しています。

そして、両者とも、後世に「バガヴァッド・ギーター」、「福音書」として、彼らの教えを記した書物を残しています。

ここで「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳)と、新約聖書の中から、同様の記述を比較してみましょう[3,4]。

「アルジュナよ、私は万物の心中に宿る自己(アートマン)である。私は万物の本初であり、中間であり、終末である。」(ギーター / 10章20節)
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」」(ヨハネの黙示録 / 1章8節)

ここでは、神にはじまりもなければ終わりもないと述べられています。

「感官には、それぞれの対象についての愛執と憎悪が定まっている。人はその二つに支配されてはならぬ。それらは彼の敵であるから。」(ギーター / 3章34節)
「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、」(コリントの信徒への手紙一 / 1章 23節)
「しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。」(ヨハネの黙示録 / 2章 14節)

真理を実現するその過程には、さまざまな障壁があり、クリシュナもイエスもそれには十分注意するよう述べています。

また以下の例では、クリシュナとイエスの教えの要点がほぼ同じものであることが分かります。

「あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。」(ギーター / 2章11節)
「イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」」(マタイによる福音書 / 8章 22節)

「私は万物に対して平等である。私には憎むものも好きなものもない。しかし、信愛をこめて私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。」(ギーター / 9章29節)
「神は人を分け隔てなさいません。」(ローマの信徒への手紙 / 2章 11節)

「敵と味方に対して平等であり、また尊敬と軽蔑に対しても平等であり、寒暑や苦楽に対しても平等であり、執着を離れた人、……彼は私にとって愛しい。」(ギーター / 12章18-19節)
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書 / 5章 44節)

「梵天の昼は一千世期で終わり、夜は一千世期で終る。それを知る人々は、昼夜を知る人々である。」(ギーター / 8章17節)
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(ペトロの手紙二 / 3章 8節)

もちろん、両者には異なる部分もあります。イエス・キリストは独身で子がいなかったといわれるのに対して、クリシュナには1万6千人の妻があり、18万人の子をもうけたといわれています。これなどは、もっとも大きな違いのひとつでしょう。

しかし、一見つながりのないような両者に共通点があることは、どの宗教も、じつはひとつの真理に基づいているからに他ならないのでしょう。
お互いの共通点を見つけることは、お互いの良さを理解するひとつのきっかけにもなります。

クリシュナを知らないキリスト教徒でも、このような類似点を知ることでクリシュナに親しみが湧いてくるのではないでしょうか。

明日8月24日は、クリシュナが降誕された日にあたります。
みなさまにとって、祝福の多い一日となりますように。

参考文献
[1]インド神々の事典, p102, 学研, 2008
[2]上村勝彦訳, バガヴァッド・ギーター, 岩波文庫, 1992
[3]Linkages between two God-men saviors: Christ and Krishna, http://www.religioustolerance.org/chr_jckr.htm
[4]Specific similarities between the lives of Jesus and Krishna, http://www.religioustolerance.org/chr_jckr1.htm

パンチャークシャリ・マントラの唱え方について

2008.08.06 Wednesday

マントラを唱える方法について、パラマハンサ・ムクターナンダは、「静かに(マーナシカ−心の中で唱える)、話すのと同じ速さで唱えるのが理想である」と言っています。呼吸に合わせ、息を吸うときに一度、吐くときに一度唱えるのも良い方法です。ムクターナンダによると、このように唱えるなら、マントラは心を浄化し、また唱えられたマントラは体内をかけめぐって、その振動とともに血液細胞に浸透します。日々マントラを唱える部屋では、「その壁にさえマントラは浸透する」とムクターナンダは言います。このことについて、彼は自らの体験を次のように説明しています。

『インドにあるわたしのアシュラムには、わたしが長い間生活した特別な部屋がありました。わたしはそこで瞑想し、マントラを唱えていました。やがてわたしは他の部屋へと移ったために、その部屋は閉ざされていました。数年前、政府の役人がアシュラムを訪れたのですが、その際彼は、私に言いました。
「多くの人があなたのアシュラムではたやすく瞑想に入れると言っているのを聞きました」
そこで、わたしは彼を例の部屋へ連れて行き、中を見せ、座って瞑想するように言いました。
「マントラは何を唱えればいいでしょう?」
と聞かれたので、
「部屋の中でマントラが聞こえてきたら、それを唱えてください」
と答えました。瞑想を終えて部屋を出るとき、彼は言いました。
「壁からオーム・ナマ・シヴァーヤが聞こえてきました。なんと部屋全体がオーム・ナマ・シヴァーヤを唱えていたのです!」
マントラは生きた力です。長い間一心に繰り返すことで、あなたを取り巻く環境すべてにそれは染み込むのです。』

太古からインドの偉大な聖者や悟りを開いた人々の多くは、オーム・ナマ・シヴァーヤのマントラを推奨し、常にこれを唱えることを勧めました。なぜこのマントラがそれほど特別なものであるのか、スワミ・スブラムニヤスワミは次のように述べています。
「オーム・ナマ・シヴァーヤがこのように価値あるマントラであるのは、それが真我から心へと流れている音に最も近いためです。それは真我(つまりはシヴァ、あなたの内なる神、ハイヤーセルフ)へと至る確実な道であるため、オーム・ナマ・シヴァーヤを唱えることは意義深いことなのです」

聖仙ウパマニュ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)は、「特別な儀式を要せず」、「時間の制約なく」、「外的な条件の束縛もない」というオーム・ナマ・シヴァーヤの神秘について説いています。
「もしこのマントラがあなたの心の内に響き続けるなら、苦行も瞑想もヨーガも必要ない。このマントラに、儀式や祭式は必要なく、また唱えるべき時刻も、唱えるべき場所もない。」

また、このマントラはすべての人に開かれたマントラであることは特筆すべき点です。パラマハンサ・ムクターナンダは「このマントラは規則、規制にしばられない」と言っています。 「オーム・ナマ・シヴァーヤには、いかなる制限もなく、老いも若きも富める者も、貧しき者も唱えることができる。たとえその人がどのような状況にあろうと、オーム・ナマ・シヴァーヤはそれを唱える者を清める。」
ムクターナンダは言います。
「摩訶不思議かな、オーム・ナマ・シヴァーヤ。唱えよ、唱えよ、ひたすら唱えよ」

熱意を持ってオーム・ナマ・シヴァーヤを唱える人々は、サムサーラの海を渡り、悟りの彼岸に至るといわれています。このマントラを唱えていたカシミールの偉大な聖女ララ、すなわちラル・デッドは次のように述べています。

「正しい知識を持ち、耳を傾け、聞くのです。木々がオーム・ナマ・シヴァーヤに合わせて、いかに身を揺らすのかを。風がそよぐとき、いかにしてオーム・ナマ・シヴァーヤを唱えるのかを。ナマ・シヴァーヤの音とともに、いかにして水が流れるのかを。全宇宙がシヴァの名を唱えているのです。そのことに気づくには、わずかに注意を払えばよいのです」

このマントラを唱える機会に恵まれ、熱心に努力するならば、やがてその果報として多くのものを得るでしょう。現代生活ではジャパのための時間を十分に作ることは難しいかもしれません。しかし、テレビを見たり、会話を楽しむための時間があるならば、その気になれば、毎日でもジャパやマントラのために10分間をさくことくらいはできるはずです。一度その価値を知った人は、そこから得られる恩恵は、純金よりも価値があることを知ることでしょう。

「ルドラークシャ・ビーズを身につけ、パンチャークシャラ・マントラを唱えなさい。心が柔和になり、溶け出すでしょう。愛を込めてこの5文字のマントラを唱えれば、シヴァの心を見るでしょう。そして、不純なもの、心配、疑念は破壊されます。」-シヴァ・ヨーガスワミ

※以上「パンチャークシャラ・マントラの唱え方について」より

ところで、本日8月6日、インドではナーガ・パンチャミーのお祭りが行われます。ナーガ(ヒンディー語ではナーグ)は蛇の意味で、特にコブラのことを指していわれます。今の季節は、インドでは雨期のため、コブラの巣が水浸しになり、難を逃れてさまよい歩いているうちに、人家に入る恐れがあります。そこでコブラによる人的被害がないように祈りを捧げたことが、ナーガ・パンチャミーの起源であるといわれています[1]。
しかし、コブラはシヴァ神の首飾りとして、ヴィシュヌ神のお気に入りのシェーシャ(蛇)として描かれているように、幸運を運ぶ生き物としても知られています。
この吉兆の日、皆さまの元にナーガを通じて幸運が運ばれますことを、心よりお祈りいたします。

また本日、広島では63回目の原爆忌を迎えました。今後原爆が決して使用されることのない、平和な世界が実現されることを、あわせて祈念いたします。

参照
[1]Festivals Of India, http://festivalsofindia.in/nagpanchami/

グル・プールニマー

2008.07.17 Thursday

インドでは、グル(師)に対しては、とても大きな尊敬が払われます。日本では、グルというと、一連の事件などがあり、一般には悪いイメージが先行してしまいがちですが、インドでは決してそのようなことはありません。家庭にあっては親、学校にあっては先生、会社にあっては上司など、グルの指導のもと、人は大きく成長していくことができます。インドでは、グルは神と同一のものと見なしなさいといわれています。それは、太陽の光が反射して月が輝いて見えるように、グルの英知に照らされて、人々が輝きだすといわれるからです。

明日18日(金)は、グルに感謝の意を捧げるグル・プールニマー(師への満月祭)です。

グル・プールニマーの起源は、聖仙ヴィヤーサの誕生日にあたります。
聖仙ヴィヤーサは、ヴェーダ・ヴィヤーサ(ヴィヤーサは編者の意味)とも呼ばれ、ヴェーダ聖典を編纂したことで知られています。彼は、後の時代に、人々の心が醜くなり、すべてのヴェーダを学ぶ能力がなくなることを見通して、莫大なヴェーダを現在の4部(リグ、ヤジュル、サーマ、アタルヴァ)に編纂したといわれています。

さらに、彼はプラーナを記述し、物語や寓話を通じてヴェーダと同様の霊的英知をやさしく説き、それによって多くの人々がヴェーダの英知に触れることができるようになりました。また彼は、ヴェーダンタの本質をなすブラフマー・スートラの作者としても知られています。このような偉業を残したグル・ヴィヤーサを祝福するため、彼の誕生日がグル・プールニマーとして祝われることになりました[1]。

グル・プールニマーの日には、新しい誓いを立て、それを実行することが慣例的に行われています。
例えば、霊的な師がいれば、師からマントラを授かり、それを毎日唱える誓願を立てます。
あるいは毎日瞑想をする、肉食をしないなど、その他の霊的な誓願を立て、実行するのもよいでしょう。

グルの役割について、スワミ・シヴァーナンダは次のように語っています[2]
「人が成長するために、あなたはグルの重要さと神聖な意義について理解していますか。インドがいままでグルを大切にし、グルの意識の光の中で生き続けているのには理由があります。理由もなく、毎年この古くからの伝統を祝い、度々グルへ敬意を払い、信義と忠誠を再確認しているのではありません。グルは、悲しみと死の束縛から脱却させ、真理を体験させる、人々にとっての唯一の保証人なのです。」

またスワミ・シヴァーナンダは、グル・プールニマーの日に行うべきことについて次のように語っています。
「このもっとも神聖な日は、ブラフマームフルタ(午前4時)に起床しなさい。そして、グルの蓮華の御足を瞑想するのです。心の中で、彼の恩寵を祈りなさい。こうしてはじめて、あなたは成就に至ることができます。早朝には、熱心にジャパや瞑想を行いなさい。」

「沐浴したあと、グルの蓮華の御足を礼拝しなさい。また彼の絵や写真に、花やフルーツを供え、お香や樟脳を焚くのもよいでしょう。この日は、断食をするか、食べても牛乳やフルーツだけにするべきです。午後は、あなたのグルの信奉者たちと一緒になり、彼の栄光や教えについて話し合うとよいでしょう。」

「夜は、信奉者たちが集まり、神の御名やグルの栄光を歌いなさい。グルを礼拝するもっともよい方法は、彼の教えに従うことです。彼の教えの顕現としてあなた自身が輝き、彼の栄光とメッセージを伝えなさい。」

グル・プールニマーの日からは、チャトルマースとよばれる神聖な時期が4ヶ月間続き、インドではこの期間に多くのお祭りが行われます。特に7月19日から8月16日までの期間は、シュラヴァナと呼ばれ、チャトルマースの中でも特に神聖な期間とされています。
この時期は、シュラヴァナ(聞くこと)と呼ばれるように、聴聞等による学習に適した期間です。師の教えを聞き、それを実行に移せるよう努力すれば、きっと大きな実りがあることでしょう。

[1]"Guru Purnima", http://www.amritapuri.org/cultural/guru/purnima.php
[2]Subhamoy Das, "The Guru Purnima", http://hinduism.about.com/od/festivalsholidays/a/gurupurnima.htm

ガーヤトリー・マントラについて

2008.07.04 Friday

瞑想法として、また願望成就のための最高のマントラとして、ガーヤトリー・マントラは古より多くの聖者・聖賢たちに称賛されてきました。ガーヤトリーとは、もとはヴェーダの韻律の名称です。俳句が五・七・五の音節からなるように、ガーヤトリーは八・八・八の音節からなりたちます。この定型詩は、のちにガーヤトリー女神として神格化されました。

ガーヤトリー・マントラの典型は、タイッティリーヤ・アーラニヤカ第十章のマハーナーラーヤナ・ウパニシャッドに見ることができます。

そこでガーヤトリーの詩形は、次のように記述されています[1]。

「(I) ヴィッドゥマヘー
(?) ディーマヒー
タンノ (?) プラチョーダヤートゥ」

「われらは(?)を知り、
(?)を瞑想できますように。
そこにわれらを(?)は導きたまえ」

(?)、(?)、(?)にはそれぞれの神格に応じた詩句が入ります。

たとえば、ハムサ・ガーヤトリーでは、
(?)「ハムサーヤ」
(?)「パラマハムサーヤ」
(?)「ハムサ」
が当てはまります。

その意味は、
「われらはハムサーヤ(アートマン、自己)を知り、
パラマハムサーヤ(究極のアートマン)を瞑想できますように。
そこにわれらをハムサ(アートマン)は導きたまえ」
となります。
(ハムサ(ハンサ)は白鳥とも訳され、ヴェーダにおいては太陽と結びつき、豊饒の男性原理として表されます。また「ソーハム」をハムサ・ガーヤトリーと呼ぶこともあります)

しかし、その中でも最高位とされるガーヤトリー・マントラは、太陽神サヴィトリに捧げられる讃歌であり、このマントラを1日3,000回唱える人は、いかなる罪を犯そうとも一ヶ月でその罪から解き放たれるともいわれています[2]。

「オーム ブール ブワッ スワハ
タットゥ サヴィトゥル ワレーニャム
バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒー
ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤートゥ」

「死すべき者、不死なる者、神なる者の上に平和あれ
わが瞑想は太陽神の最も輝ける光のため
われらが知の力、神が掻き立て給わんことを
(かくして、正しき時に正しきおこないをなす霊感を授からんことを)
(リグ・ヴェーダ-3.62、訳:浜田吾愛)

このガーヤトリー・マントラについては、多くの偉人、聖仙や聖者たちがその効果を実感し、人々にこのマントラを唱えるよう勧めています[3]。

・マハトマ・ガンジー(インド独立の父)
「絶え間なくガーヤトリー・マントラを唱えることは、病を癒し、霊的進化に非常に有効である。落ち着いた気持ちで、心を込めて唱えることで、いかなる試練や逆境も乗り越えることができる。」

・ガンガダール・ティラク(インド独立に貢献した政治家)
「政治的な力だけでは、インド国民が多くの領域で受ける束縛を克服することはできない。そのためには、インド国民が心の領域で互いに結びつく必要があり、それによって何が真実で何が不正であるかが分かるだろう。ガーヤトリー・マントラは、束縛の道から離れ、正義の道へと進もうとする人々に敬虔な気持ちを抱かせる。」

・マダン・モーハン・マラヴィヤ(政治家、バナーラス・ヒンドゥー大学創立者)
「聖仙から受け継いだ数多くの宝石の中で、もっとも価値ある宝石はガーヤトリーと呼ばれる。ガーヤトリーの礼拝は我々の知性を清める。神聖な光が我々の魂を照らし、この光によって、実に多くの人々が物質に束縛される大海原を乗り越えてきた。ガーヤトリーの礼拝によって、我々の信仰はより強固に神へと向かう。これとともに、我々はまた、物質的な利益も得る。ガーヤトリー礼拝は、ブラフミン(僧侶階級)にとってもっとも必要なものだ。ガーヤトリー・マントラを唱えないブラフミンは、行うべき当然の義務を怠るという罪を被る。」

・ラビンドラナート・タゴール(詩人、思想家)
「一息で唱えられ、インドを大国として目覚めさせるマントラ。それがガーヤトリー・マントラである。極めて純粋なこのマントラが唱えられている限り、いかなる道理の対立、意見の相違、弊害はないだろう。」

・ラーマクリシュナ・パラマハンサ(近代の代表的聖人)
「私は常々、霊的修行に長日月を費やすべきでないといっている。しかし、この短時間のガーヤトリー礼拝による霊性修行は別だ。ガーヤトリー・マントラを唱えることで、偉大な霊的目標に到達するだろう。このマントラはとても短いが、無限の力を秘めている。」

・スワミ・シヴァナンダ(近代の代表的聖人)
「毎朝午前3時から午前6時の神聖な時間帯に、ガーヤトリー・マントラを唱えることで、魂は磨かれ、心は神聖となる。肉体は病を克服し、性格は清らかになる。知性が研ぎ澄まされ、記憶力が鋭くなることで、物事を見通す力がつく。耐え難い逆境にあるとき、ガーヤトリー・マントラの力は助けとなる。その結果、人はあらゆるものに浸透する精妙なもの(神)を理解する。」

・ラマナ・マハリシ(近代の代表的聖人、神秘思想家)
「ヨーガの科学においては、マントラの科学がもっとも価値あるものだ。マントラの力は、人々を計り知れない成功に導く。ガーヤトリーは、物質的、精神的な恵みを与えるマントラである。」

・スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(ヴェーダンタ哲学の霊的指導者)
「王には、些細な物でなく、重要な物を請うべきである。それと同じように、全知全能の神には、はかない物質的な快適さではなく、純粋な知性のみを請うべきである。神を喜ばせるとき、信奉者は純粋な知性を手にできる。人は、純粋な知性によって、正しい道を歩み、あらゆる種類の快適さを味わうことができる。人が真理の道を歩むとき、彼は自動的にすべての喜びを味わうのだ。ガーヤトリーは純粋知のマントラだ。したがって、あらゆるマントラの中でも、ガーヤトリーは最高の宝である。」

・シャンカラチャリヤ(不二一元論を提唱した思想家、哲学者)
「ガーヤトリー・マントラの栄光を歌うのに、人はあまりにも無知である。知性に関する限り、ガーヤトリーの右に出るものはない。ガーヤトリーの礼拝を通じて、純粋知が働き、真我に至る。ガーヤトリーは、根源的なマントラである。誤りを正し、真理を確立するために、このガーヤトリー・マントラが明らかになった。」

・スワミ・ラームティールト(近代の代表的聖人)
「この世で最大の仕事は、神に到達することである。ガーヤトリーは、欲望に囚われた知性を、欲望のない神聖な知性に変える助けとなる。純粋な知性を通じてのみ、神に至ることができる。ガーヤトリーは、知性に穢れがあってはならず、物質的な利益よりも、神の実現に目を向けるべきであると述べている。」

・聖仙パラーシャラ(マハーバーラタの作者のひとりとされる)
「すべてのスークタ(讃歌)やヴェーダのマントラの中でも、ガーヤトリーがもっとも優れている。ガーヤトリー・マントラを信心込めて唱える人は、解脱に至り、あらゆる面で浄化されるだろう。ヴェーダ、プラーナ、イティハーサ(歴史)のすべてを学んでも、ガーヤトリーを唱えないならば、ブラフミン(僧侶階級)とは呼べない。」

・聖仙シャンカ(マハーバーラタ・ヴィラータ編のヴィラータ王の息子とされる)
「ガーヤトリーは、罪の海で溺れている人々を救う尊い手のようなものだ。地上においても、天界においても、ガーヤトリーより優れているものはない。ガーヤトリーを知る者は、確実に天界へ到達するだろう。」

・聖仙アトリ(リグ・ヴェーダに最も多く登場する聖仙)
「ガーヤトリーの礼拝は、魂を浄化するもっともよい方法である。その偉大な力によって、人々の罪や欠点は清められる。ガーヤトリーの原理を真に理解した人は、この世界のすべての喜びを手にするだろう。」

・聖仙ヴィヤーサ(マハーバーラタの作者のひとりとされる)
「花は密に、ミルクはバターに濃縮されるように、すべてのヴェーダはガーヤトリーに濃縮される。ガーヤトリーを揺るぎない信念で礼拝するとき、それはカーマデーヌ(願いを叶える聖牛)となる。ガンジス河は、肉体のあらゆる罪を清め、ガンジス女神の姿をしたガーヤトリーは魂を清める。ガーヤトリーを礼拝せずに、他の霊性修行を追求する者は、誠に愚かである。なぜなら、それは家にご馳走があるのに、他で残飯を乞うようなものだからだ。ガーヤトリーより偉大なものはない。この苦行に耐えるならば、解脱は近い。」

・聖仙バラドヴァージャ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)
「ブラフマーのような神々でさえ、神を実現するためのガーヤトリー・マントラを唱える。ガーヤトリーのおかげで、卑しい行為は完全に阻止されるからだ。ガーヤトリーの礼拝を避ける人々は、奴隷より劣る。」

・聖仙チャラカ(アーユルヴェーダに多くの貢献をしたとされる)
「禁欲をし、ミロバランの実を食べることを避け、ガーヤトリー・マントラを唱えるならば、長命を手にする。」

・聖仙ナーラダ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)
「ガーヤトリーは、バクティ(信愛)が形となったものである。ガーヤトリーのあるところ、バクティがある。ナーラーヤナ(神)の存在を疑ってはならない。」

・聖仙ヴァシシュタ(リグ・ヴェーダの作者のひとりとされる)
「心の弱き者、堕落した人生を過ごす者、理性に欠ける者は、ガーヤトリーの礼拝によって最高の状態を獲得する。彼の死後、高貴な霊的境地に達することは確かだ。純粋な決意と、確固たる信念を持ってガーヤトリーを礼拝する者は、魂の英知を手にする。」

インドでは、ガーヤトリー・マントラを授かることは第二の誕生を意味するといわれています。日本でこのマントラに触れる機会に恵まれた人は、その意味を理解し、正しく唱え続けることで、かつての聖仙・聖人たちが悟り得た究極のゴールに一歩近づくことができるでしょう。

参照
[1]インド思想史略説 http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/narayana.htm
[2]インド神話伝説辞典、菅沼晃編、東京堂出版
[3]Shiram Sharma, “A Most Widely Accepted and Stupendous Spiritual Endeavor”, http://ezinearticles.com/?A-Most-Widely-Accepted-and-Stupendous-Spiritual-Endeavor&id=484527

※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.16 2008年7月号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。
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