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年末年始の休業のお知らせ

2014.12.22 Monday

いつも弊店をご利用いただき誠にありがとうございます。

誠に勝手ながら、弊店では下記の期間を年末年始の休業とさせていただきます。

2014年12月30日(火)~2015年1月5日(月)

休業期間中は何かとご迷惑をお掛けすることと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

心の貧しい人たちは、幸いである

2014.12.22 Monday

インドは、さまざまな宗教や思想、慣習が入り混じる国です。そんな中で、キリスト教徒の占める割合は約2.3%と統計が出されています。(2001年国勢調査、外務省HPより)人口が12億人を超えているインドにおいて、その割合は決して少ないものではありません。

精神性を育む教えが溢れるインドでは、こうした異なる宗教や思想を通じても、その教えの真髄を学ぶことが多くありました。その一つに、聖書が述べる以下の節があります。

「心の貧しい人たちは、幸いである、天国は彼らのものである。」
(新約聖書:マタイによる福音書5:3)

この「心の貧しい」は、さまざまな解釈の中の一つにおいて、心に所有物を持たないことであると伝えられます。その所有物とは、執着や欲望、更には、自分自身を定義する地位や名誉など、自我を大きくする全てのものに他ありません。心の作用により自我が大きくなることで、私たちは自分自身の本質という崇高な存在を見失います。

心が静まり、自我が小さくなる時、崇高な存在はよりはっきりと見え、一体となることが容易となります。そこには、自分ひとりが中心となることで生じるさまざまな不安や恐れが消えた、平安な世界が生じます。それはまさに、天国と言えるものに他ありません。

ヨーガの経典「ヨーガ・スートラ」でも、その冒頭で「心の止滅」が説かれます。神の詩「バガヴァッド・ギーター」においても、心を統制する術がクリシュナの言葉を通じ事細やかに記されています。

多くを持つことが良いことだと考える私たちに、精神性を育む教えの数々は、所有の否定を説いてきました。「足るを知る者は富む」そんな言葉もあるように、心に何もない、そして静まった平安は、自分自身の本質である終わりのない至福を知るための、何よりも豊かな術になるに違いありません。

教えの数々は、時を超え、幸せに生きる術を私たちに示しています。その真髄を見失うことなく、日々の生きる指針として常にその教えを抱き続けたいと感じています。皆さまにとっても、この聖なる時が平安に包まれるものとなりますよう、心よりお祈り申し上げております。

(文章:ひるま)

アールドラーとアシュレーシャとプシャー

2014.12.22 Monday

前回のローヒニーの美しさは、結構大きな反響がありました。ただ、これは私の鑑定してきた経験上に基づく話です。気楽にお読みいただければ幸いです。
実は、アールドラーやアシュレーシャの女性(男性)にも独特の美しさがあります(もちろんすべてのナクシャトラには独特の美しさがあるのですが・・)
アールドラーというナクシャトラは、その名前から想像がつく方もおられるかもしれませんが、暴風神ルドラ(破壊の神シヴァ)と関係があります。ですから、ご想像のようにうちには非常に激しいものを持っています。かなり正統派の美しさなのですが、やさしさの中にどこか秘めた「破壊」力を感じさせる雰囲気を纏っています。
一方アシュレーシャの方も、可愛らしい方、美しい方が多いのですが、たとえ可愛らしくても、ノーブルでも、その内に「ぞっとするような」美しさを秘めていることが多いように感じます。それはアシュレーシャ象徴が「蛇」であることと関係しているのでないかと思います。ですからその魅力に特別な(普通でない)異性が引き付けられてくることもあります。
この2つのナクシャトラの方の共通点は、(それぞれ種類は違いますが)ある種の危険な匂い、と言えるのかもしれません(もちろん、実際に危険な事件などを起こすわけではありません)。
これは、実はある意味で最高の褒め言葉なのです。なぜなら人間は危険な匂い(フェロモン)のする異性に引き付けられる動物なのです。
ですから、これらのナクシャトラの方は、一般的に異性に人気があるのではないでしょうか?繰り返しますが「ぞっとするよう美しさ」や「危険な匂い」というのは、異性を惹きつける上で、とても素晴らしいことなのです。
ところで、プシャーというナクシャトラがありますが、この性質を纏う方は、とても世話好きで母性的で優しい方が多いです。
プシャーの異性が、安らぎを与えてくれるとすれば、上記2つのナクシャトラの異性は、ワクワク感を与えてくれるのだろうと感じます。
いずれにしても全てのナクシャトラの性質は魅力に満ちています。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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結ぶ行い

2014.12.15 Monday

霊的叡智の宝庫であるウパニシャッドに以下の節があります。

「アートマン(霊魂)を車主(馬車の主人、乗りて)、肉体を車体、覚(理性)を御者、意(思考器官)を手綱と心得よ。」(カタ・ウパニシャッド第3章3節 「ヨーガの宗教理念」 佐保田鶴治著)

これは、バガヴァッド・ギーターの教えが描かれる有名な場面でも同じように映し出されるものです。手綱をもって馬に繋がれた車(馬車)を操るクリシュナ、その後ろにアルジュナが座り、終わりなき自由、そして永遠の至福に向けクリシュナがアルジュナを導く情景です。

私たちの肉体には、快楽だけでなくさまざまな苦難を生み出す感覚器官が宿ります。変化に富むその感覚器官が奔放に働く時、肉体は暴走する馬のように私たちを大きく掻き乱し、そしていつしか制御不能な状況を生み出します。しかし、感覚器官が永遠不変の存在である神々に結ばれる時、それらは正しく機能を始め、私たちは終わりのない自由と至福を得ることができると叡智は伝えています。

美しい音楽を聴くこと、おいしいものを食べること、愛らしいものを見ること、日々を豊かに生きることは決して間違いではないと、インドでヨーガを学ぶ日々の中で言われたことがあります。しかしそれは、決して感覚を満たすためのものではなく、内なる神を喜ばせ、真実を知るためにものに他ないと教えられました。神々に捧げられる賛歌、甘い供物、祭壇を飾る美しい花、それらが見せる絶対の喜びが、真の豊かさを物語っていたことをいつも思い出します。

―私にあらゆるものを捧げることにより、あなたは終わりなき平安を得る―

バガヴァッド・ギーターの美しい詩句の中で、クリシュナは繰り返しそう述べています。絶対の存在を通じ獲得する真の喜びと平安は、より清く、そして正しく生きることを学ばせてくれるものであり、それは何よりもの豊かさを授けてくれるものに違いありません。

「馬を車に結び付ける」その「結ぶ」を意味するyujは、yogaの語源としても知られています。肉体に生じるさまざまな感覚を神々に捧げ、そして結びつけ、何にために喜びを感じ、日々を生きるのか、その本質を忘れずに過ごすことを今日も努めています。

(文章:ひるま)

神の詩を味わう

2014.12.08 Monday

アルジュナよ 感覚の欲求は
まことに強く 烈しいもので
修行を積んで道をわきまえた人の
心をさえも力ずくで奪いさるのだ

肉体の感覚を制御して
意識をわたしに合致させて
しっかりと固定できた人を
不動智を得た聖者とよぶ
(バガヴァッド・ギーター2章60、61節 田中 嫺玉 (著, 翻訳))

バガヴァッド・ギーターにおいて、聖地クルクシェートラの戦場で苦悩するアルジュナに、クリシュナはそう述べます。ギーターでは、私たちの肉体がクシェートラ(用地)として捉えられ、そこで起こるものに欲望や憎悪、喜楽や悲苦があり、それらに打ち勝つための術が事細やかに述べられます。

肉体に生じるさまざまな作用の中で苦悩する私たち。そんな中では、欲望を満たすこと、称賛を得ること、成功を収めること、それらが人生において最も重要で、そして必要なことであると考え、必死になることも少なくありません。

しかしギーターは、欲望の対象から心を離し、自分自身への執着をなくすこと、生きることや老いることを苦と見なし、本質を究めることが生きる目的であると説きました。それは、永遠の至福である至上者を知ることであるとも言い換えられます。

ギーターにおいて説かれる言葉は、そのどれもが、至上者である永遠の至福を知るための術として、そして、解脱を得るための道として綴られています。肉体に生じるさまざまな作用にもがき、その奥深くに存在する永遠の至福を見失う瞬間に溢れている私たちを、本質へと引き戻してくれるものに他ありません。

肉体が経験してきた味わいは、より上質なものを味わうことにより消滅すると、クリシュナは述べています。今こうして生きる日々において、永遠の至福である至上者をより深く味わうことで、肉体の感覚を超え神々にしっかりと定まることができるに違いありません。

そのためにも、繰り返し繰り返し、神の詩を読み続けたいと感じています。その言葉は常に、私たちを上質な味わいに結び付け、感覚を超えた永遠の至福に留まらせてくれるのだと叡智が述べているように思います。

(文章:ひるま)
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