カレンダー

<< August 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031
  

カテゴリー

コメント

記事一覧

Feed

インドの女神たち

2010.12.23 Thursday

インドの女性は美しく、そしてタフだなぁといつも感心します。豪快でどっしりとしていて、優しさと大らかさを兼ね備え、どこか神秘的で、不思議な力を持っています。

インドにはたくさんの女神がいます。その女神たちの描かれっぷりと言ったら、思わず息をのんでしまうほど。たいていは美しく描かれているものばかりですが、真っ赤な舌を出しながら武器を手に、生首を持って踊っていたりする女神もいます。土着の女神たちがヒンドゥー教に取り入れられ、シヴァ神などのお妃として描かれるようになったそうです。

春のナヴァラートリー祭の時でした。ドゥルガー、サラスヴァティー、ラクシュミーの女神達に祈りが捧げられる9日間、知人の敬虔なヒンドゥー教徒のインド人女性は断食に入っていました。チャイやフルーツなどは頂いているようでしたが、穀物などは一切口にせず、そんな中一晩中マントラを唱えプージャを行います。断食をしていない私が彼女の唱えるマントラについて行くが精いっぱいなくらい濃密な時間の中で、彼女はどんどんと周りの人々を祈りの中に引き込んでいきます。どこからそのエネルギーが湧いてくるのだろうと、その強さには女神を重ねて見てしまうほどでした。

ナヴァラートリー祭で祝われる三女神はデーヴィと言われ、プラクリティ(自然)の象徴です。エネルギーの源である自然、それは生きるために必要な全てを生み出す母性でもあります。インドにいるとなぜか、そのエネルギーに圧倒されます。混沌とした大地は活気があって生き生きとし、祈る人々の姿には神聖な力が満ちているのがはっきりと見て取れます。特に、女性の放つ神秘的なエネルギーにはいつも魅了されてしまいます。

シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの三大神だけでなく、女神信仰も根強いインド。美しく、時には勇ましく描かれた女神たちの姿は、家庭の中にいても偉大な力を持つインドの女性にぴったりです。滞在中、どこか守られているようで心が落ち着くのはきっと彼女たちのおかげだと感謝せずにはいられません。

(文章:ひるま)

バガヴァッド・ギーター第3章第13節

2010.12.06 Monday

यज्ञशिष्टाशिनः सन्तो
yajñaśiṣṭāśinaḥ santo
ヤジュニャシシュターシナハ サントー
祭祀の残饌を食べる善人は


yajñaśiṣṭa【中性、yajña-śiṣṭa】祭式の供物の残余、祭祀の残饌
āśinas【男性・複数・主格、āśin】~を食する、享受する
→yajñaśiṣṭāśinas【男性・複数・主格、限定複合語 yajña-śiṣṭa-āśin】[~は、~が]祭式の供物の残余を食べる人、祭祀の残饌(ざんせん)を食べる人
santas【男性・複数・主格、sat】[~は、~が]生類;善人、有徳の人、教育のある人、賢者

मुच्यन्ते सर्वकिल्बिषैः ।
mucyante sarvakilbiṣaiḥ |
ムッチャンテー サルヴァキルビシャイヒ
すべての罪から解放される


mucyante【三人称・複数・受動活用 √muc】[彼らは~、それらは~](具格、従格)から放たれる、~から釈放される;ゆるめられる、離される;捨てられる、中止される;罪(または)存在の束縛から逃れられる
sarva【中性】すべての、一切の、あらゆる
kilbiṣais【中性・複数・具格、kilbiṣa】[~によって、~をもって]違犯、犯罪、罪悪;不正、危害
→sarvakilbiṣais【中性・複数・具格、同格限定複合語 sarva-kilbiṣa】[~によって、~をもって]一切の罪、すべての罪悪

भुञ्जते ते त्वघं पापा
bhuñjate te tvaghaṁ pāpā
ブンジャテー テー トヴァガン パーパ-
しかし、罪人たちは罪を食べる


bhuñjate【三人称・複数・アートマネーパダ・現在 √bhuj】[彼らは~、それらは~]享受する、支配する、所有する;使用する;利用する;甘受する;~を食べる
te【男性・複数・主格、指示代名詞 tad】[~は、~が]それら、あれら、彼ら
tu【接続詞】しかし、一方(虚辞としても使用)
agham【中性・単数・対格、agha】[~に、~を]災害;罪;非行、邪悪;不浄;苦痛
pāpās【男性・複数・主格、pāpa】[~は、~が]邪悪な男たち、悪党たち、罪人たち

ये पचन्त्यात्मकारणात् ॥
ye pacantyātmakāraṇāt ||
イェー パチャンティアートマカーラナート
自分のために料理する(罪人たち)


ye【男性・複数・主格、関係代名詞 yad】~であるところの
pacanti【三人称・複数・パラスマイパダ・現在 √pac】[彼らは~、それらは~]料理する、焼く、煮る、あぶる
ātma【中性】自己、自身;霊魂;我
kāraṇāt【中性・単数・従格、kāraṇa】[~から、~より]~の原因、機会、動機;第一原因、原素;根底;論証、証明;方法、器具;感官
→ātmakāraṇāt【中性・単数・従格、限定複合語 ātma-kāraṇa】[~から、~より]自分のため

यज्ञशिष्टाशिनः सन्तो मुच्यन्ते सर्वकिल्बिषैः ।
भुञ्जते ते त्वघं पापा ये पचन्त्यात्मकारणात् ॥ १३ ॥

yajñaśiṣṭāśinaḥ santo mucyante sarvakilbiṣaiḥ |
bhuñjate te tvaghaṁ pāpā ye pacantyātmakāraṇāt || 13 ||
祭祀の残饌を食べる善人は、すべての罪から解放される。
しかし、自分のためにのみ料理する罪人たちは罪を食べる。


※「祭祀の残饌を食べる」とは、見返りを求めずに、すべての行為をブラフマンに捧げる行為であり、
「自分のためにのみ料理する」とは、見返りを求めて行為することを指すと考えられている。

バガヴァッド・ギーター第3章第12節

2010.12.05 Sunday

इष्टान् भोगान् हि वो देवा
iṣṭān bhogān hi vo devā
イシュターン ボーガーン ヒ ヴォー デーヴァー
実に、神々は、汝らに所望の享楽(主に食物)を


iṣṭān【男性・複数・対格、iṣṭa(過去受動分詞 √iṣ)】求められた、望まれた;望ましい、好ましい;親愛なる;都合のよい
bhogān【男性・複数・対格、bhoga】[~に、~を]食うこと、享受すること、消耗すること;享有、享受;使用、使役、適用;用益;性的享楽;支配、統括;感覚、知覚;功用、利益;快楽、歓喜;享楽の対象;財産、収益
hi【不変化辞】なぜならば、~のために;真に、確かに、実に
vas【為格・複数、二人称代名詞(附帯形) yuṣmabhyam】[~に、~のために]あなたたち
devās【男性・複数・主格、deva】[~は、~が]天上の者、神格者、神、神聖な者;祭官、婆羅門;王、王侯;長

दास्यन्ते यज्ञभाविताः ।
dāsyante yajñabhāvitāḥ |
ダースヤンテー ヤジュニャバーヴィターハ
祭祀により讃えられた神々は、与えるだろう


dāsyante【三人称・複数・アートマネーパダ・未来 √dā】[彼らは~だろう]与える、交付する;渡す;捧げる;売る;作る
yajña【男性】(祈祷または讃歌をもってする)崇拝;祭式の儀礼、祭式
bhāvitās【男性・複数・主格、過去受動分詞・使役活用 √bhū】生産された、開示された、得られた;上機嫌な、喜ばしい、得意の気分である;鼓舞された;芳香をもって薫ぜられた
→yajñabhāvitās【男性・複数・主格、限定複合語 yajña-bhāvita】(神として)祭式で尊敬された;祭祀で讃えられた;祭祀によって繁栄させられた

तैर् दत्तान् अप्रदायैभ्यो
tair dattān apradāyaibhyo
タイル ダッターン アプラダーヤイッビョー
彼らに捧げずに、彼らによって与えられたものを


tais【男性・複数・具格、指示代名詞 tad】[~によって、~をもって]それら、あれら、彼ら
dattān【男性・複数・対格、datta(過去受動分詞 √dā)】[~に、~を]与えられたもの;贈り物、施物;布施
apradāya【絶対分詞 a-pra√dā】与えないで;渡さないで;捧げないで;授けないで
ebhyas【男性・複数・為格、指示代名詞 idam】[~に、~のために]これら

यो भुङ्क्ते स्तेन एव सः ॥
yo bhuṅkte stena eva saḥ ||
ヨー ブンクテー ステーナ エーヴァ サハ
享受する人、彼は真に盗人である


yas【男性・単数・主格、関係代名詞 yad】~であるもの、~である人
bhuṅkte【三人称・単数・アートマネーパダ・現在 √bhuj】[彼は~、それは~]享受する、支配する、所有する;使用する;利用する;甘受する;~を食べる
stenas【男性・単数・主格、stena】[~は、~が]盗人、強盗
eva【副詞】実に、真に(強意を表す。しばしば虚辞として使用)
sas【男性・単数・主格、指示代名詞 tad】[~は、~が]これ、あれ、彼

इष्टान्भोगान् हि वो देवा दास्यन्ते यज्ञभाविताः ।
तैर्दत्तानप्रदायैभ्यो यो भुङ्क्ते स्तेन एव सः ॥ १२ ॥

iṣṭānbhogān hi vo devā dāsyante yajñabhāvitāḥ |
tairdattānapradāyaibhyo yo bhuṅkte stena eva saḥ || 12 ||
実に、祭祀により讃えられた神々は、汝らに所望の享楽を与えるだろう。
神々に捧げずに、神々より与えられたものを享受する人は、盗人に他ならない。」


※造物主(プラジャーパティ)の言葉は、この節まで続くと考えられますが、この節の最後までとする立場と、この節の前半部分(~享楽を与えるだろう)までが造物主の言葉で、後半部分(神々に捧げずに~)はクリシュナの言葉とする立場があります。

インドの聖典を学ぶ

2010.12.04 Saturday

 インドのゆったりとした時間の中で生活していると、本を読む時間が断然増えていることに気がつきます。時間ができたときについつい立ち寄ってしまう本屋さん。気づけば長居をしていて、チャイやお菓子までご馳走になっていることもしばしばあります。私が主に滞在するリシケシには小さな本屋さんがたくさんあり、また大きなアシュラムともなれば、必ずと言っていいほど本屋さんが併設され、驚きの値段で本を買うことができます。インドでは、州や地域によって話されている言語が異なるため、英語を含めそれぞれの言語ごとにきちんと本が用意されています。

 リシケシで目にする本の多くは、スピリチュアル系の本がほとんどです。ヨーガの聖地ともあって、聖典の数も半端ではありません。インドの神様のお話や、難しいヴェーダの解説など、分かりやすく子ども向けにマンガのように作られているものもあり、私には大助かりだったりもします。

 インドでヨーガに触れていると、ヴェーダのマントラやヨーガ・スートラといった聖典の学習が欠かせません。中でも大切なのが、ヨーガの聖典とも言われるバガヴァッド・ギーターです。

 インド人はバガヴァッド・ギーターが大好きです。ビザ取得の際に問題があり、手こずっていた友人は大使に一言、「バガヴァッド・ギーターを学びたいんです」と率直に述べると、たまたま大使がクリシュナ神の信者であったために、友人はすぐに入国許可をもらったというほど。(バガヴァッド・ギーターはクリシュナ神の教えを説いたものです。)私もインドでは肌身離さず持ち歩いています。神の詩とも呼ばれるバガヴァッド・ギーターの暗唱は、サンスクリット語が分からなくとも、本当に歌を聴いているようで心地が良くなります。

 バガヴァッド・ギーターだけではなく、どんな聖典を読んでみても、述べられていることに多くの共通点があることに気が付きます。古くから伝わる清い言葉や叡智に触れることは何よりも大切だと何度も言われました。リシケシでアシュラムを訪ねていると、分厚い聖典を抱えた僧たちの姿をよく目にします。古い時代の教えが、今この時代に生き生きと伝わり、そして必要とされていることには驚きを隠せません。「真実は一つなんだよ」と言われたことが、理解できるような気がします。

(文章:ひるま)

パワースポット・インド編

2010.11.27 Saturday

ヨーガの聖地として有名な北インドのリシケシには、オレンジ色の衣服をまとった修行僧たちがたくさん暮らしています。都会のデリーを離れてリシケシに近づくにつれ、オレンジ色に身を包んだ人々が増えてくると、あぁまたここにやってきたと心底嬉しくなります。

ある時リシケシの友人に、「ちょっと山歩きに行くけど一緒に行く?」と誘われたことがありました。リシケシの街はガンジス河沿いにあり、すぐ後ろにはヒマラヤの山麓が広がっています。この山の中には世を捨て修行を続ける人々がたくさんおり、その中でも有名な修行僧に会いに行くというのです。「ちょっと山歩き」という文句もあって、サンダル履きに近い恰好で友人の後について行きました。インド人の「ちょっと山を歩く」というものが何を意味するのか、おんぼろジープに詰め込まれ脳味噌も内臓も撹拌されること一時間、そこからはロッククライミングさながらに岩場をよじ登り、時には転がるように下りながら、やっとの思いで巨大な洞窟にたどり着きました。そこにはオレンジ色で身を包んだ修行僧が絵に描いたように静かに座っていました。もう何十年もこの洞窟に篭って修業を続けているんだそうです。

涙が出そうなくらいにへとへとで、体が思うように動かないのに、神聖な洞窟に座る僧の姿を目にした途端一瞬にして体が軽くなり、僧とただ同じ空間にいるだけで、体の芯まで安らぎと清らかさと温かさが満ちていく不思議な感覚に包まれました。ここを訪れる人は誰もがそう感じると言います。修行僧は本来、一人でひっそりと山の中で修業を続けていると言われますが、僧の神聖なエネルギーがどこからともなく人々を引きつけているに違いありません。

リシケシはたくさんの修行僧やヨギ達が放つ神聖なエネルギーで満ち溢れていると言われています。それはまさしくパワースポット。この場所で僧は、「何事も心の在り方次第である」と静か言いました。和やかな心がさらなる和を生むことは、その場の空気が物語っていました。この世の平和も私たちの心の在り方次第。僧のエネルギーが世界中に行き渡ることを祈るばかりです。
(文章:ひるま)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 | 101 | 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 | 109 | 110 | 111 | 112 | 113 | 114 | 115 | 116 | 117 | 118 | 119 | 120 | 121 | 122 | 123 | 124 | 125 | 126 | 127 | 128 | 129 | 130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 | 136 | 137 | 138 | 139 | 140 | 141 | 142 | 143 | 144 | 145 | 146 | 147 | 148 | 149 | 150 | 151 | 152 | 153 | 154 | 155 | 156 | 157 | 158 | 159 | 160 | 161 | 162 | 163 | 164 | 165 | 166 | 167 | 168 | 169 | 170 | 171 | 172 | 173 | 174 | 175 | 176 | 177 | 178 | 179 | 180 | 181 | 182 | 183 | 184 | 185 | 186 | 187 | 188 | 189 | 190 | 191 | 192 | 193 | 194 | 195 | 196 | 197 | 198 | 199 | 200 | 201 | 202 | 203 | 204 | 205 | 206 | 207 | 208 | 209 | 210 | 211 | 212 | 213 | 214 | 215 | 216 | 217 | 218 | 219 | 220 | 221 | 222 | 223 | 224 | 225 | 226 | 227