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ムドラーの運命転換効果

2011.07.07 Thursday

ムドラーというとハタ・ヨーガではバンダ(体の一部を締め付ける技術)を使用したものが主流ですが、ムドラーという名前自体は体内にある種のエネルギーを作り出すテクニックの総称だと私は考えています。その意味において、チベット仏教や日本の密教にある手を使って組むムドラー(印契)は本質的にはハタ・ヨーガのバンダを使ったムドラーと同じ目的であると言えます。ハタ・ヨーガのなかにも手のムドラーはあるのですが、今現在では使用法において主流ではないかもしれません。

ところがグラハシャンティとして、この手で組むムドラーは非常に大きな効果を作り出します。
実は私がインド占星術を学び始めたのは、初めにムドラーの運命転換効果をヨガの師に指摘されたのがきっかけなのです。私のヨーガの師は占星術とには全く興味のない方ですが、ある日占星術とムドラーの関係について話して下さったのです。

どのような理由でグラハシャンティとして効果的なのかは、実際にムドラーのご指導をさせていただいた方にはお話しているのですが、文面にすると誤解を招く恐れもあるので、書くのが難しい部分もあります。
ともあれ、私自身もこのムドラーが運命を変える方法として卓効があること経験上感じています。ただ使い方にはある種のコツがあって、ただ指を組み合わせるだけでは、効果を得るのは難しいと思います。
一般的にヨーガ学習者に知られている情報として、指と惑星との関係などがありますが、それだけでは不十分な部分もあります。天体の配置は刻一刻と変化しているわけですから、ムドラーにも何かそういう要素は必要でしょう。

なお、ムドラーに熟達してくると、手の感覚が開発されて、結果としてオリジナルのムドラーが生まれてくる可能性もあります。これはムドラー自体が最初はリシ(見者)や賢者・聖者などによって感得されたものだとすれば、私たち「普通の人」でも感得出来る可能性が全く0%ではないということです。蛇足ですがマントラに関しても全く同じで、可能性としては私たちでも感得出来る可能性が隠されています。ただ、私たちが感得出来るとしても、その時そこにはやはり星の力が働いているのも事実です。
もしオリジナルのムドラーを感得できた場合、一般的にそのムドラーはその方にとって非常に強力な働きをする可能性が高いと思います。
次回はムドラーに関する自らの経験談を書かせていただきます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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探求の旅

2011.06.26 Sunday

「細い木の枝にとまる小鳥は、強い風が吹いて枝が揺れようと、決して恐れることはなく、ただじっとそこにとまっています。しかし、彼らは木の枝が折れないものだと信じているわけではありません。自分が持つ羽を信じているのです。」

約6か月のこの度の滞在を終えようとしている今、日本へ、物質主義の社会へ戻る私に、あるスワミジはそう話をしてくれました。

ヒンドゥー教の教えでは、私たちの魂は、生まれることもなく死ぬこともない、不変のものだとされています。それは、私たちがこの今の人生を生きているのではなく、人生が私たちの魂という舞台の上で踊っていると、例えられることもあります。

人々はいつしか、物質主義の世界の中で踊る人生に、満たされない何かを感じ始めます。「生きる意味とは?」「自分自身の本来の姿とは?」「真実とは?」言葉での表現の仕方はさまざまであっても、答えを求めるその心は同じです。そして、自分を磨き、見つめていく精神的な探求の旅が始まります。

私たちが追い求めるものは「今」というその瞬間にあると、多くの教えによって明らかにされているにも関わらず、その探求の中で心は、今ではないいつか、そしてここではないどこかへと向かって、忙しなく動き続けます。

しかし、答えは心の成熟がなされた、それを見るに相応しいとされる時にのみに姿を現すと言います。完全に「今」という瞬間に留まる時です。それは、雑踏の中を歩いている時かもしれません。友人との何気ない会話の中かもしれません。準備が整った時、ふと、その瞬間は訪れます。ただ、「今」というその瞬間を犠牲にした探求の中では、その答えを見つけることは出来ません。

「木の枝にとまる小鳥のようでありなさい。木の枝はいつ折れるか分かりません。外側の世界に頼るのではなく、確固たる自分の内側を信じていれば、大きく揺るがす何かが起きたとしても、いつだって強くいられます。小鳥がじっと空を見つめるように、悲しいこと、嬉しいこと、魂というその舞台の上で起こるさまざまな出来事をただ受け止め、今に留まれば、求めるものは必然と向こうから訪れます。」

スワミジは最後まで続けます。「精神的な探求とは常に、自分というその家に戻る旅でもあります」と。真実、答え、そして求めるものは、最初から自分の中にあるからです。

今にいること、そして自分の内側をみること。その大きく深いテーマと向き合うことが、この6か月の探求であったような気がします。そしてその探求は、これからもまだまだ続くに違いありません。

(文章:ひるま)

占星術的な処方3・・その他3

2011.06.26 Sunday

クンダリニー・ヨーガ(生命エネルギーを活性化するヨーガ)は占星術的な処方として、効果が高いと私は考えています。インド占星術で出生図のことを「ラーシ・クンダリ―」と言います。サンスクリットの専門家でもないのに偉そうに説明して申し訳ないのですが、クンダリニーはクンダリーとほぼ同じ意味です。
シュリー・チャクラ(シュリー・ヤントラ)は脊椎を上昇してくるクンダリニーの様子を上から見た形だという、話を聞いたことがありますが、ラーシ・クンダリーもまるで脊椎を上昇してくるクンダリニーの様子を上から見た形のように見えます。星の偏りは上昇のクンダリニーの偏りのようにも見えます。
大宇宙と小宇宙(人間)が密接につながっているとすれば、あながち的はずれな見方ではないかもしれません。
いずれにせよクンダリニー行法が処方として効果を発揮するのは、経験上確信していますし、師からもそのような話をお聞きしました。

しかし一口にクンダリニー・ヨーガと言ってもその技法は伝える指導者によって、ハタ・ヨーガ以上に違いがあります(そして、それぞれの技法に素晴らしい部分があります)。
それは古来よりクンダリニーヨーガを完全にマスターした行者が非常に少なかったため、その行者の修行法を厳密に守ることによって、逆に技法が多様化したのではと想像します。
私が師から学んだ行法は、クンダリニーを目覚めさせるという点より、クンダリニーが暴走しないように制御する点に重きを置いたものでした。
クンダリニーエネルギー自体は、実はわりと簡単に目覚めさせることができます。困難なのはそれをきちんと制御して正しいルートを通すということだと、私は思います。

クンダリニーが(事故などにより)一部目覚めてしまうことがあります。私のヨーガ教室にも過去に複数そういう方がいらしていました。意図せず目覚めてしまった場合、体の不調や霊障のような不具合が起こることもあります。
そのような方々にもクンダリニー・ヨーガをやっていただくと、かなりの症状の改善が見受けられます。
我々普通の人間が通常生活して行く場合でも、ごく少量のクンダリニーエネルギーを活用して生活しているとすれば、その流れの改善は運命改善につながるのではないでしょうか?もちろん「シャクティ・チャラニー・ムドラー(クンダリニーの完全覚醒)」に成功した人であればそれは言うまでもないと思います。

クンダリニー・ヨーガ(特に制御に重きを置くような技法を多用するもの)をきちんとした技術を持つ先生から学ぶことは、グラハシャンティとしてお勧めできます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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信愛のヨーガ

2011.06.14 Tuesday

解脱へと至る方法として、3つの道があるとヒンドゥ教の教えの中で言われています。それは、ジュニャーナ(知識)の道、カルマ(義務を遂行する行為)の道、そしてバクティ(信愛)の道です。

バガヴァッドギーターがその象徴であると言われるように、中でもバクティはとても重要な位置づけです。母と子に見られるような見返りのない信愛を示したバクティは、その愛を神との関係にまで拡大し、神を信じ、従い、尊ぶことによってその恩寵が救いを与えてくれるというものです。

古いインドの言い伝えの中に、ミーラーバーイーの話があります。クリシュナ神を心から愛し続けたミーラーバーイーは、ある時、毒の入った杯を送られます。その杯を一気に飲み干すも、彼女の身には何も起こりませんでした。その時、クリシュナ神の像は一瞬青ざめたといいます。その毒を、クリシュナ神が身代わりに受けたのです。

信愛は、自己をも超越していきます。言葉も、思考も、何もかもを超えたところにあるその愛は、あらゆるものを包み込み、何にも乱されることがありません。

バクティを実践する人々を見ていると、その定まった揺るがない眼差しに心を打たれます。尊敬や批判、喜びや憎しみ、その相反するものに左右されることなく、また、恐れや不安からも自由です。自分自身に満ち足り、全てのものに平等であり、ありのままを受け入れることで常に平静な心を持つ人々の、神に定められたその心は、いつも、神と離れることはなく一つです。

バガヴァッドギーターの中でも、クリシュナ神は繰り返し言い続けます。「私はあなたを愛しています」と。神の愛はいつもそこにあり、私たちは神と一つであるということ。それを決して忘れてはいけないと、バクタ(献身者)の姿はいつも私をその根本へと引き戻してくれます。

バクティの実践は、愛という想いを高めていく方法の一つだとも言われ、その気持ちが、私たち自身を内なる神聖へと導いてくれるものです。それだけではなく、家族や友人、その大切なものと私たちを繋ぎとめるものとして、愛は存在します。それは、全体と一つになるというヨーガそのものであり、解脱という究極の目的のみならず、日々の生活の中に、大きな意味を与えてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

束縛からの解放

2011.06.07 Tuesday

ここでの生活において、マントラを唱えることは欠かせない日常の一部です。マントラの詠唱は、その音の振動が様々な変化を生み出し、体と心を浄化するとも言われています。

「熟したキュウリが蔦の束縛から自然に落ちるように、私たちを死から解き放ち、不死へと導いてください。」 というのは、マハー・ムリティユンジャヤ・マントラと言われるとても有名なマントラです。その意味を初めて知った時、キュウリ?と驚いてしまったのを今でもよく覚えています。

そのキュウリを例えに、このスピリチュアルな世界の教えを聞いたことがありました。「熟したキュウリは、勝手に落ちます。熟していないうちは、激しく揺さぶっても、手でちぎろうとしても、蔦から離れようとはしません。内側から熟さない限り、束縛からは一生離れることはできないのです。」と。

私たちは、いつも外側の世界に幸せを見出そうとしています。物や社会的な地位や名誉といったものばかりに幸せを見ていると、その心はもっともっとという欲を、そして執着を生み出し、いつまでたっても満たされない苦しい状態を作り出します。常に変化を続ける外界に見出された幸せは、揺ぎやすくとても不安定なものであり、ある時、絶望を与えることがあるかもしれません。

多くのスピリチュアルリーダーがそうであると言われるように、彼らはたくさんの痛みを経験しています。外側の世界に意味を見いだせなくなった時、人々の意識は内側へと向かい始めます。そして、そこにある世界に気がついたとき、揺るがず決して変わることにない幸福に満たされるのだと言います。

長い瞑想を終えた後に感じたことがありました。一日中目を瞑り、沈黙を続ける内側の深い静寂の中で、ふと眼を開けた際に映る山々の緑は一層深く、慎ましいながらも食事の味は濃くはっきりと、川の流れる音や、風に揺れる木々の音までが大きな振動となって、自分に伝わってきたのです。

自分の内側を大切に育み、そこから熟していくことの意味をその時はっきりと感じました。内側がしっかりとしたものであれば、全てのものを大切に、そして幸せというものは自分の中から生じるものであると理解できるような気がします。そして、それに勝る幸せというのは、他にありません。

自分を束縛し続ける、外側にある幸せ。そこから解き放たれるために、既に持つ内側にある幸せに近づこうと、今日もマントラを唱えています。

(文章:ひるま)
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