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一筋縄でいかない女神

2015.03.09 Monday

インドには、日本の神道と同じように、八百万(やおよろず)の神がいると言われていますが、そのなかでドゥルガーは人気の高い神様のおひとりです。インドでは最強の女神といいますと、カーリーとか、マニアックな方であればバガラームキーとか、ヴィシュヌ系の女神様が好きな方は、プラティヤンギラデーヴィーとかを思い浮かべるかもしれません。
しかし、ドゥルガーが最強だと思う方もインドには多いのをご存知でしょうか?
ドゥルガーの化身として思い浮かぶのはナヴァドゥルガー(9人のドゥルガー)と言われる9柱の神様です。その中で幸せな愛を得るために礼拝されるカーティヤーヤニーなどは、有名です。
しかしそれ以外にダス・マハーヴィディヤもドゥルガーの10化身の女神とみる見方もあります。上記の畏怖女神バガラームキーはこの中の1柱です。
これらの中には、カーリーとカールラートリーなどのように、似た性質を持つ神様もおられるのですが、基本的にその性質は様々で、同じ神の献身とは思えないようなものもいたりします。
その上、性質だけなく、顕現する姿も多岐にわたっています。マータンギーが16歳の少女の姿であるのに対し、ドゥマーバーティーは年老いた未亡人の姿で表されます。
いずれにしてもトータル19柱の化身というのは、かなり多い数ではないでしょうか?(そして厳密には19柱以外にも化身とされる神様もいます。)

歴史的に見れば、様々な地方神を吸収して今のドゥルガーの化身が出来てきたと見ることができますが、それだけたくさんの神々を吸収するということは、相当強力な神様なのでしょう(当時ドゥルガーを信奉していた人たちが強力だったということです。)
また、優しい神様から恐い神様まで、そして処女神から老婆神まで幅広い性質を持つのもその凄さの表れでしょう。
そう、ドゥルガーは多様性に満ちているため、いい意味で一筋縄でいかない女神なのです。一筋縄でいかないということは、裏を返せばそれだけたくさんの魅力があるということ。
ナヴァラートリの時、ドゥルガーを礼拝してみてはいかがでしょうか。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』」
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「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
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ホーリー・フェスティバル

2015.03.02 Monday

ホーリー・フェスティバルは、豊年祈願を祝う春の祭典で、例年パールグナ月(2~3月)に行われます。
道行く人々に、色粉を浴びせたり、色水をかけたりして、街中カラフルに染まるお祭りです。
今年2015年は、3月5日と6日に行われます。(お祭りの日程や期間は地域によって異なります)。

このお祭りの起源は、さまざまな説がありますが、もっとも有名なのは悪王ヒラニヤカシプに関するものです。

彼は、苦行により、ブラフマー神から誰からも殺されないという特権を獲得しました。その権利を得た彼は、やがておごり高ぶり、人々に神ではなく、自分を崇めるように強要するようになっていきます。

そんな傲慢なヒラニヤカシプの息子であるプラフラーダは、打ってかわって、熱心にヴィシュヌ神を信仰していました。ヒラニヤカシプは、たびたび息子にヴィシュヌを信仰するのをやめ、自分を崇めるように強要しますが、息子は一向に聞き入れようとしません。

やがて彼は、息子に殺意を抱くようになり、さまざまな手段で息子を殺そうと試みます。

ある時は、息子に毒を飲ませましたが、ヴィシュヌ神の恩寵のために、毒は彼の口の中で甘露に変わってしまいました。
ある時は、巨大な象に息子を踏みつけさせましたが、驚くことに無傷のままでした。ある時は、お腹をすかせたコブラといっしょに、牢獄の中に閉じこめましたが、何事も起こりませんでした。

さまざまな手段を試みましたが、ヒラニヤカシプは、息子を殺すことができませんでした。
そんな時、ヒラニヤカシプはプラフラーダに、薪の上に娘のホーリカーといっしょに座るように命じました。まだ小さかったプラフラーダは、ホーリカーの膝の上に座ると、ヒラニヤカシプは、彼らを殺すために薪に火を投じました。ホーリカーは、神の恩寵のため、火から身を守るショールを持っていました。しかし、このショールはひとり分しか身を守ることができません。
熱心にヴィシュヌ神に祈りを捧げていたプラフラーダは、ショールがホーリカーの身から舞い降り、火から守られました。しかし、ホーリカーは、ヒラニヤカシプの犠牲となってしまいました。

一説では、このホーリカーの犠牲を、ホーリー祭として感謝するといわれています。

また他の説では、クリシュナに関するものがあります。

いたずら好きであったクリシュナは、愛するラーダーや他のゴーピーに色粉をつけて遊んでいたといわれます。また色白のラーダーに不満を抱いた色黒のクリシュナは、母に言いつけ、母がラーダーの顔に色粉を塗ったともいわれています。
この風習が広まり、クリシュナの聖地ヴリンダーヴァンやマトゥラーでは、16日間に渡ってホーリーが祝われるようです。

その他の説では、カーマデーヴァやシヴァ、プータナーに関するものもあります。しかし、どの説でも、善が悪に打ち克った勝利を祝うことが、このお祭りの起源になっているようです。

礼節の厳しいインドでは、唯一の無礼講が許されるお祭りとして有名ですが、色粉による健康被害も少なくないようですので、何事もほどほどにした方がよいかもしれませんね。

内にある至福

2015.03.02 Monday

幸せが内にあり 
喜びが内にあり
光が内にある者 
そのようなヨーギーは 
ブラフマンと一体となり 
永遠の至福へと到達する
(バガヴァッド・ギーター第5章24節)

幸せと喜びについて、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ神が述べる言葉を思い出します。

ホーリー祭は喜びそのものです。この日ばかりは、社会の中で生み出される貧富の差、老若や男女、地位や役割、あらゆる差異がなくなり、誰もが平等に、ただカラフルな喜びに満ち溢れます。そしてそこには、自分自身の内に喜びを見出すという霊性を育む深い意味が秘められています。

私たちは、自我や欲望から生じる姿や形、名前、持っているものに幸せを見出し、その移ろう現象に囚われ、多くの苦難を経験するということが古くから伝えられてきました。そしてこのホーリー祭の喜びが見せるものは、姿形のない、ただ在る喜びであることを思い出します。

インド全体がカラフルな色に染まるホーリー祭の前夜には、大きな焚き火と共に神々が礼拝されます。それは、自我や欲望を焼き尽くすことを意味するものでもあり、そうして自分自身の内が浄化される時、あらゆるものを平等に見ることのできる清らかさを私たちは獲得するのだと教えられました。

あらゆるものを平等に見ること、それは全てが神々のものに一つであることを理解することにも他ありません。清らかな心でその真実を理解する時、私たちの内は、既に在る絶対の幸せと喜び、そして光に溢れます。さまざまな差異を超え、あらゆるものが一つになったホーリー祭の喜びが、それを物語っています。

私たちが生きるさまざまな姿や形が現れるこの現象世界こそ、その真実を理解するための貴重な機会に満ちているのだと感じてなりません。日々の一瞬一瞬において、自分自身の内なる喜びに気づいていられるよう、真実の理解に励みたいと感じています。

こうして訪れるインドの祝祭の数々は、日々に大きな気づきを与えてくれるものです。その気づきが喜びであるからこそ、学びの数々が美しいものとなり変わります。今年もまた、このホーリー祭を通じ世界が大きな喜びに包まれるよう願っています。

(文章:ひるま)

バガヴァッド・ギーター第9章第26節

2015.02.24 Tuesday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターのサンスクリット原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

पत्त्रं पुष्पं फलं तोयं
pattraṁ puṣpaṁ phalaṁ toyaṁ
パットラン プシュパン パラン トーヤン
葉、花、果実、水を


pattram【中性・単数・対格 pattra】[~に、~を]翼;羽毛、矢羽;乗物(車・馬・らくだ);(樹の羽毛)、葉、花弁;(書くために用意した)葉;手紙、文書;金属の箔・板金;飾り葉
puṣpam【中性・単数・対格 puṣpa】[~に、~を]花;月経;花やかな言葉、婦人に対する慇懃、愛の告白
phalam【中性・単数・対格 phala】[~に、~を]果実;(果実の)核;結果;報い、報酬、利益、果報;報復、罰、損失、不利益;利得、享受;代償
toyam【中性・単数・対格 toya】[~に、~を]水

यो मे भक्त्या प्रयच्छति ।
yo me bhaktyā prayacchati |
ヨー メー バクティヤー プラヤッチャティ
信愛をもって、私に捧げる人は


yas【男性・単数・主格、関係代名詞 yad】[~は、~が]~であるもの、~である人
me【単数・為格、一人称代名詞 mad(mahyamの附帯形)】[~に、~のために]私
bhaktyā【女性・単数・具格 bhakti】[~によって、~をもって]分割、分配;(あるものの)一部であること、(あるものに)属すること;付属物;分け前、部分;分界、線、条;順序、連続;愛着、献身、服従、尊敬、尊重、崇拝、帰依、誠信、信仰
prayacchati【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 pra√yam】[彼は~、それは~]拡げ延ばす;(処格)に置く;(abhi)の方に(眼を)向ける;(為格)に(使者を)派遣する;(処格)に(供物を)捧げる;提供する、贈る、与える;手放す、手渡す、引き渡す;持ち来る、引き起こす、発生させる;(娘を)嫁がせる;(毒薬を)服用させる;(属格)に(呪詛を)唱える;(心)に浮かべる;(vedaを)教える;(回答を)与える;(手厚く)もてなす;(売り物として)呈出される(=売る);(負債を)返還する、支払う;(恩恵に)報いる

तद् अहं भक्त्युपहृतम्
tad ahaṁ bhaktyupahṛtam
タッド アハン バクティユパフリタム
私は、その信愛をもって捧げられたものを


tad【中性・単数・対格、指示代名詞 tad】[~に、~を]それ、あれ、これ
aham【単数・主格、一人称代名詞 mad】[~は、~が]私
bhakti【女性】分割、分配;(あるものの)一部であること、(あるものに)属すること;付属物;分け前、部分;分界、線、条;順序、連続;愛着、献身、服従、尊敬、尊重、崇拝、帰依、誠信、信仰
upahṛtam【中性・単数・対格 upahṛtaupa√hṛの過去受動分詞)】取られた;運び去られた;提供された、贈られた;~を贈呈された
→bhaktyupahṛtam【中性・単数・対格、限定複合語】[~に、~を]信愛をもって捧げられた

अश्नामि प्रयतात्मनः ॥
aśnāmi prayatātmanaḥ ||
アシュナーミ プラヤタートマナハ
敬虔な人から、私は受ける


aśnāmi【一人称・単数・パラスマイパダ・現在 √aś】[私は~]食べる、(飲食を)摂る;味わう;楽しむ
prayata【男性 pra√yamの過去受動分詞】~を与えられた、捧げられた;自制した;恭しい、敬虔な
ātmanas【男性・単数・従格 ātman】[~から、~より]気息;霊魂;生命、自身;本質、本性;特色;身体;知性、悟性;我、最高我
→prayatātmanas【男性・単数・従格、所有複合語 prayatātman】[~から、~より]敬虔な人、心を抑制した人、心を捧げた人

पत्त्रं पुष्पं फलं तोयं यो मे भक्त्या प्रयच्छति ।
तदहं भक्त्युपहृतमश्नामि प्रयतात्मनः ॥२६॥

pattraṁ puṣpaṁ phalaṁ toyaṁ yo me bhaktyā prayacchati |
tadahaṁ bhaktyupahṛtamaśnāmi prayatātmanaḥ ||26||
人が信愛を込めて、葉、花、果実、水を私に捧げるならば、
私はその敬虔な人から、真心の供物を受ける。

破壊の祈り

2015.02.23 Monday

シヴァ神を礼拝する最も吉兆な夜を過ごし、その象徴が伝える深い意味について、改めて多くの気づきを与えられたように思います。こうしてこの吉兆な夜を通じて学ぶもの、その一つに、自分自身を破壊することが常にあります。

もともとシヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。古代の人々は、この満月から新月へと変化する境目において、満ちた自我が小さくなり崇高な存在と一体となることができると信じ、深い祈りを捧げていたと言われます。そしてその祈りの多くは、「私を破壊してください。」というものであったと教えられたことがありました。

現代において私たちは、毎日のように、幸福や繁栄、保護を求め、祈りを捧げています。一方、古代の人々が捧げていた祈り「私を破壊してください」が意味するものは、「そうすれば、あなた(神)になれるからです。」ということであると教えられました。

シヴァ神は、破壊神でもあります。シヴァ神が破壊するものは私たちの自我であり、その先で永遠の至福である崇高な存在との一体をもたらすものです。インドの霊的叡智も、アートマン(真我)は否定的な概念でしか捉えられないということを繰り返し伝えてきました。

私たちは日々の中で得る地位や名声を通じ、さまざまに自分自身を形作っています。決して満たされることはないそれらの現象に惑わされ大きくなった自我は、常に多くを求め、さまざまな苦難をもたらします。それらから解放されるために必要なものこそが、自我を破壊することに他ありません。

自分自身を破壊することは、決して恐れるようなことではないことも、このインドの地に教えられました。それはただ、神々の下に自分自身を差し出すことであり、そうして成り得る絶対の存在において、限りのない幸福や繁栄が待ち受けています。その本質が、永遠の至福に他ないからです。

吉兆な時を通じ与えられる学びの機会と共に、自分自身の祈りについて、改めて向き合いたいと感じています。そしてシヴァ神の恩寵が世界を包み込むことを、どんな時も願ってなりません。

(文章:ひるま)
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