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バガヴァッド・ギーター第3章第34節

2011.12.06 Tuesday

इन्द्रियस्येन्द्रियस्यार्थे
indriyasyendriyasyārthe
インドリヤスイェーンドリヤスヤールテー
各感官には、その対象についての


indriyasya【中性・単数・属格 indriya】[~の、~にとって]神の力;支配;偉大な行為;活力;体力;精力;感官;感覚
indriyasya【中性・単数・属格 indriya】[~の、~にとって]神の力;支配;偉大な行為;活力;体力;精力;感官;感覚
artha【男性】目的;原因、動機;利益、使用、利用、有用;褒美、利得;財産、富、金;物、事、事物
→indriyasyendriyasyārthe【男性・単数・処格】[~において、~のなかで]各感官の対象

रागद्वेषौ व्यवस्थितौ ।
rāgadveṣau vyavasthitau |
ラーガドヴェーシャウ ヴィヤヴァスティタウ
愛執と憎悪が定められている


rāga【男性】激しい欲望、情熱、愛、愛情、同情
dveṣa【男性】憎悪、嫌悪、~を憎むこと;害心、悪意、敵意
→rāgadveṣau【男性・両数・主格、並列複合語】[~は、~が]愛執と憎悪、愛好と嫌悪
vyavasthitau【男性・両数・主格・過去受動分詞 vy-ava√sthā】規則正しく整列された;配置された・置かれた・たっている;(処格)に基づいた、依存している

तयोर् न वशम् आगच्चेत्
tayor na vaśam āgaccet
タヨール ナ ヴァシャム アーガッチェート
人はその両者に支配されてはならない


tayos【男性・両数・属格、指示代名詞 tad】[~の、~にとって]両者、両方
na【否定辞】~でない
vaśam【男性・単数・対格 vaśa】[~に、~を]意志、願望、欲望;力、支配、権威、主権
āgaccet【三人称・単数・パラスマイパダ・願望法 ā√gam】[彼は~だろう、彼は~するべき](対格)に近づく、~に来る;~と出会う;獲得する、達する、到着する、取る;受ける、経験する、蒙る

तौ ह्यस्य परिपन्थिनौ ॥
tau hyasya paripanthinau ||
タウ ヒヤスヤ パリパンティナウ
なぜなら、それらは彼の敵であるから


tau【男性・両数・主格 指示代名詞 tad】[~は、~が]その両者、それら2つ
hi【不変化辞】なぜならば、~のために;真に、確かに、実に
asya【男性・単数・属格 指示代名詞 idam】[~の、~にとって]これ、この、彼
paripanthinau【男性・両数・主格 paripanthin】[~は、~が]待ち伏せする者、敵対者、敵

इन्द्रियस्येन्द्रियस्यार्थे रागद्वेषौ व्यवस्थितौ ।
तयोर्न वशमागच्चेत्तौ ह्यस्य परिपन्थिनौ ॥३४॥

indriyasyendriyasyārthe rāgadveṣau vyavasthitau |
tayorna vaśamāgaccettau hyasya paripanthinau ||34||
各感官には、その対象についての愛執と憎悪が定められている。
人はその両者に支配されてはならない。なぜなら、それらは彼の敵であるから。

ヨガが不眠症や更年期障害を緩和する可能性

2011.12.03 Saturday

(Reuters Health) - 週に数回のヨガ・セッションは、睡眠障害や更年期障害を和らげることが、ある研究で明らかになった。

ジャーナル・メノポーズで発表された研究によると、不眠症と診断された人の中に閉経後の女性も含まれていることが分かった。

「ヨガが閉経後の症状を治すと言っているわけではありません。」この研究論文の著者の1人である Helena Hachul 博士は、Reuters Health(ロイター通信の Health と Medical に関するニュースを提供している Web サイト)へあてたメールでこう述べている。「しかし症状を改善して和らげることができます。」

Hachul と共同研究員らは、44人の女性をランダムに3つのグルームに割り振った。内15人は何の治療も受けず、14人は週に2度理学療法士と共にストレッチを行い、15人は週に2度ヨガ教室に参加した。

ヨガ教室では様々なストレッチポーズやチベタンパルシングヨガのテクニックを学び、強くて早い呼吸を練習した。

4ヶ月後、ヨガグループの女性達は何もしなかった人達に比べ、更年期障害による症状の訴えが少なくなった。

女性は更年期になると、よく顔がほてったり、寝汗をかいたり、不安になったり、いらいらしたりして、中には不眠症になったり気分が落ちこんでしまう人もいる。ホルモン補充療法はこういった症状を和らげることができるが、2002年の女性の健康イニシアチブ(Women's Health Initiative)の研究によると、この療法には心臓病や卒中、乳がんなどのリスクがあるという。

以来、ホルモン補充療法を受ける女性の数は減り、大半の人はそれぞれの症状の対処をする為に別の治療法に頼るようになった。例えば、顔のほてりにはブラック・コホッシュやアカツメクサなどのハーブを摂取すると言った具合だ。しかし、そういった治療は気休めの薬に過ぎないことが、ある研究によって判明している。

マツヨイグサ油やチョウセンニンジン、 カヴァ、甘草、セージなどのを使用したホメオパシー療法も、北米閉経学会(North American Menopause Society)によると効果は期待できないという。

これとは対照的に、ヨガがストレスを軽減し、交感神経系のファイト・オア・フライト反応(脅威や危険に対する身体の反応)を抑制するということが研究で証明されている。

「これは沢山あるヨガのメリットの一部に過ぎません。」Cathryn Booth-LaForce は最新の発見についてこう語る。

「更年期障害だけでなく、様々な症状の改善に医師たちがヨガを勧めだしたのです。」 Booth-LaForce は続ける。彼女はワシントン大学の看護学部で更年期障害の代替療法を学んだが、新しい研究には参加していなかった。

ところが、彼女は Hachul のレポートには肝心の情報が抜けていると注意を呼びかける。
「どんなポーズが使われたのか、何人がヨガ教室に欠かさず通ったのか、といった情報がほぼ皆無なのが気になります。」

研究では、女性達が治療の前後にアンケートに答えている。

あるアンケートでは閉経後の症状を尋ね、0から18を軽い、18から35を中間、35以上を重いとした。4ヶ月後、ヨガを行った女性の平均数値が 12.4となる一方、治療を受けなかった女性は19.9にとどまった。

睡眠に関するアンケートでは、28を最も深刻な不眠症状とする0から28の段階に分けたところ、ヨガを行った女性が平均9.7、治療を受けていない女性が13.7であった。

しかし、ストレッチを行った女性とヨガを行った女性にははっきりとした違いは見られなかった。

「テーブルに横になってストレッチをするのは、リラックスにつながったのかもしれません。」Booth-LaForce は言う。「しかし、ヨガは1つ1つの動作に集中することで心と身体をつなぎます。これは単に手足を伸ばすのとは大きな違いです。」

Booth-LaForce は女性達にヨガを始めることを勧めている。元気を回復させるヨガ教室や、レベルの易しい教室に参加してみてほしい、と。

ヨガ教室の受講料は、9ドルから16ドルが相場だ。

「女性には週に1度ヨガ教室に行き、毎日15分家で練習することをお勧めします。」と Booth-LaForce は語る。

出典:http://reut.rs/tX5XN5

ハムサ ~ 呼吸に潜むマントラ

2011.11.28 Monday

 近年の脳科学では、実際に使用されている脳は、脳全体に比べると、ごく僅かであることが明らかにされています。それと同様に、わたしたちが意識している領域は、無意識の領域に比べると、芥子粒のようでしかありません。
 古代の聖者たちは、この無意識の領域に普遍的真理が潜んでいることを体験的に悟り、無意識の領域を意識するために、瞑想やヨーガなど、さまざまな行を探求してきました。

 わたしたちが普段、無意識に行っている呼吸は、生命維持に欠かすことができません。探求者たちは、この無意識に行っている呼吸を意識的に行うことで、広大な無意識の世界を探求できることに気がつきました。現代の情報化社会では、古代の探求者が見出した果実を容易に享受でき、ヨーガや瞑想法では、真理に到達する手段としての多くの呼吸法が紹介されています。

 無意識の領域を探求する別の方法として、マントラ(真言)があります。マントラは、無意識の領域に流れている音を聖者が見出し、真理とつながる方法として伝わっています。マントラは、宇宙創造時に生まれた音であり、それを唱えることにより、真理を悟ることができると信じられています。探求者たちは、真理を悟るために数多くの苦行を行ってきましたが、マントラを繰り返し唱えるジャパは、誰もが容易に、安全に、そして確実に真理に到達できる方法として、古くから行われてきました。

 ともに真理に到達するための方法である呼吸法とマントラは、しかしながら、同時に行う事もできます。それが、アジャパ・ジャパ(ジャパでないジャパ※注1)と言われる、ハムサ・ガーヤトリーです。ハムサ・ガーヤトリーは、舌や数珠を使わずに唱える、呼吸と共に、自然と湧き出るマントラです。それは、声に出す必要のない、自身と融合したマントラであり、生きとし生けるものが一生涯唱え続けているジャパです。このマントラは、他のマントラとは異なり、聖者やヨーガ行者が発見したものではなく、神自身がわたしたちに授けてくれたものといわれています。それは、呼吸と同じく1日に21,600回繰り返されるといわれます。
 ガルヴァ(胎児)・ウパニシャッドによると、胎児は7ヶ月目の時に、魂が過去世からの知識を引き継ぐといわれています。そして、胎児が母体の中で、身動きがとれずに泣き始めるとき、神がハムサ・ガーヤトリーを授けるのです。しかしながら、この究極のマントラを授かりながらも、多くの胎児は、母胎から生まれ出るときに「クワン、クワン」(コーハム、コーハム)と泣き叫び、私は誰か?(※注2)という疑問を持ちながら、生き続けることになります。
 シヴァ派の聖典では、「マントラがそれを唱える人と分離し、目的を異なるものにするならば、その人はマントラの果報を得ることはない」と述べています。多くの人々が、生まれながらにして究極のマントラを授かりながらも、そのマントラから果報を得ることができないのは、ハムサの正しい意味と目的を理解していないことに原因があります。ハムサの正しい知識を得ることは、自己を理解することであり、それは自身と神との融合、すなわち二元性の消滅をあらわし、究極の平等と心の平安をもたらすものです。それは、プラーナーヤーマ(呼吸法)や瞑想法の最終目的です。究極の平安に達することは、自身の中の神の顕現につながります。

 シヴァとその妃であるシャクティの対話を記した聖典であるヴィジュニャーナ・バイラヴァでは、ハムサについて、ダーラナー(集中すべきもの)として、シヴァがシャクティに次のように説いています。「万物を創造する至高の女神は、肉体の中心より上方においては呼気の姿で、下方においては吸気の姿で、自身を表現する。」
 またシヴァ派にとって重要な聖典のひとつであるスパンダ・カーリカーでは、「呼気と吸気の脈動は、シヴァとシャクティのダンスである」と述べています。ハムサの音は、原初音オームより生じたとされ、吸気である「ハム」はシヴァ神に、呼気である「サ」はシャクティに対応します。逐語訳では、ハムはサンスクリット語の「私」、サは「それ」を意味し(※注3)、ハムサは「私はそれである」と訳されます。マハー・ヴァーキヤ(偉大な箴言)には、「アハム・ブラフマースミ」(わたしはブラフマン【宇宙の根本原理】である)、「タット・トヴァム・アシ」(汝はそれである)という箴言があります。ハムサは、このマハー・ヴァーキヤと同一の意味であり、ハムサを理解することは、宇宙の根本原理と自己の同一性を悟ること、すなわちすべてを超越した至高の真理に到達することにつながります。グル・ギーターでは、「ハム・ビージャム」(ハムは種子である)とされ、ハムとサは世界の源泉であることが述べられています。

 ハムサを理解するためには、まず宇宙に満ちた生気であるプラーナを理解する必要があります。プラーナには、専門語として呼気の意味があります。プラーナは、ハートの上方に上り、生命を支え、肉体と宇宙を維持するために必要不可欠な力です。ウパニシャッドでは「プラーナは神である」といわれ、またシヴァ派の聖典では「蟻からシヴァまで、万物はプラーナによって生きる」といわれています。
 プラーナに対するアパーナは、吸気に対応し、ハートの下方に下り、ジーヴァとしての個人の魂を意味しています。
 宇宙につながるプラーナは「サ」(それ)の音に、個人の魂を意味するアパーナは「ハム」(私)の音に対応しています。ハムサが、究極の瞑想法かつ呼吸法であるといわれる所以は、「それ」(宇宙の根本原理)と「私」の融合を象徴しているからです。
 「ハム」(私)が吸気として、自身の内に取り込まれるとき、呼気である「サ」(それ)との間に一瞬だけ、完全な静寂の状態が訪れます。吸気と呼気の間にある完全な静寂に意識を集中することは、もっとも高度な瞑想法といわれています。ハムサの真の目的は、吸気と呼気(または呼気と吸気)の間であるマディヤーダーシャに意識を集中し、ハム(私)とサ(それ)が完全に融合することを知ることにあります。

聖ブラフマーナンダは次のように述べています。

サードゥよ、高貴な人々よ
ソーハム(ハムサ)・マントラを熟考し
ソーハム(ハムサ)・マントラを知りなさい

指は数珠を括る必要なく
舌は声を出す必要もない

この唱える必要のないマントラは、
四六時中、あなたの内に流れ続けている

観察しなさい
呼気としてのソー(サ)の音を
吸気としてのハムの音を

昼夜、あなたが寝ても覚めても
このマントラは常にあなたの内にある
1日21,600回、このマントラは流れ続けている
歓喜をもって、常にそれを瞑想しなさい


聖ブラフマーナンダはまた、「このマントラを瞑想するとき、あなたは至高の状態に達するだろう」と述べています。
 普段、わたしたちが無意識に行っている呼吸には、偉大な真理への気づきが潜んでいます。ハムサは、日常生活において、誰もが行うことのできる究極の瞑想法であり呼吸法です。あなたを完全に変える力を持つこのマントラに、意識を集中してみてください。そこには、「それ(ブラフマン)」と「私」とが融合した至高の状態と、完全な静寂が隠されています。

参考文献:
Swami Muktananda, "I am that : the science of Hamsa from the Vijnana Bhairava", SYDA Publication, 1978

注1:ジャパは、マントラ(真言)を繰り返し唱える霊性修行のこと。
注2:コーハム(ko'ham)は、サンスクリット語で「私は誰か」の意味。
注3:ハムとサを置換して読む場合、サンスクリット語の連声の規則により、ソーハム(so'ham)と変化します。ソーハムは「それは私である」と訳されます。一般的なウパニシャッドの慣例では、「ソー」を吸気に、「ハム」を呼気に対応させてソーハムが唱えられますが、シヴァ派の教典ヴィジュニャーナ・バイラヴァ(155a節)では、「サ」を呼気に、「ハム」を吸気に対応させてハムサを唱えることが述べられています。どちらも実際は同じマントラであると考えられていますが、ここではハムサに対応するヴィジュニャーナ・バイラヴァの記載に従っています。

※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.35 2011年11月号」に掲載されました。

時を越えて

2011.11.28 Monday

精神的な探求を続ける人々がインドへ向かい、そして肉体の枠を超えてヨーガが求められることは、遠い昔からの、そして果てることのない事象の一つのように思います。5ヶ月ぶりにインドへ戻る私もまた、あの神聖な世界の中で美しさと混沌に包まれながら過ごす毎日に今、思いを馳せています。

ヨーガを行い、そして精神的な教えを学ぶことはどこにいても可能なものとなりました。しかし、インドの物質的に限られた生活の中で、常に神と共にある人々が生み出す気づきに満ちた空間は、どんなものにも代え難いとても神聖で貴重なものです。そこに一歩足を踏み入れるだけで、自分の中の大切なものがひょっと顔を出すような、あの空間の持つ不思議な力には今も魅せられてなりません。

物から離れ、ヨーガの修練を通じ思考や人格という自分を束縛するものを少しずつ紐解いていく中で、気づきは様々な方面から訪れます。何ににも縛られないその心であらゆるものの色や形を見る時、その存在を、そしてその背景にある静寂を何よりも強く感じ、未来でも過去でもない、今という瞬間に留まる決して揺るがない確かな姿に出会います。

時間はただ流れ過ぎていき物事も同じように変化をする中で、今という瞬間を生きることは、変わらない真実と共にあること、それは神の側に留まる事に変わりありません。過去や未来が作り出す執着や欲望という苦悩から自由であるその存在の美しさを思うと、「あなたは、今を生きるのです」という、大震災の後のスワミジの言葉が蘇ります。その存在が生み出すものは平穏だけなのだとあの言葉の意味を今理解しています。

インドから日本へ、そしてまたインドへ。変化を続けるその時間や空間を越えて、いつも変わらずにある今という瞬間は、真実であり神そのものです。人々が長きに渡ってインドを訪れるのは、究極的にその瞬間に留まらせてくれるからなのだと感じます。その崇高な瞬間のために、早る気持ちを抑えながら、残り少しとなった日本の生活を今努めています。

(文章:ひるま)

神と出会うために

2011.11.18 Friday

深い眠りの中にあるエネルギー・クンダリニーを目覚めさせ、純粋な意識とを結び付けるハタ・ヨーガのような身体に重点をおいたヨーガの修練は、とても厳しいもののように捉えられます。しかし、そのプロセスにおいて、自分の内で神のような崇高な存在と共にある瞬間が与えられることを看過することはできません。

神という漠然とした存在も、インドでは、この世界を生み出し維持している偉大な力として、誰もがその力を強くどんな時も胸に抱き続けています。風が吹き、太陽が照ること、人々が歩み、社会が動き続けること。この世界の出来事一つ一つに、いつの時も、神という偉大な力が働いていると考えます。そしてそれは、私たちの身体の中でも変わることはありません。

例えば、それぞれのチャクラを通じてクンダリニーについて観察する時、この肉体という小さな世界の中で起きている決して偶然ではない出来事を感じます。大地のようにどっしりとした根本があり、流れ行く水のように循環が行われ、エネルギーは火のように起こり、呼吸が風のように体を巡ります。空間がそれらの動きを包み込み、意識という神の力が、その存在を守っています。

誰もが経験しているその奇跡は、神の仕業とも言えるように、偉大な力の下に起きていることをヨーガの修練の中で気づかされます。目には見えない自分の内にある不変で崇高な部分に、肉体を通して意識的に向かっていくことは、漠然とした神聖な存在をより一層強く経験していきます。その中で、信念に基づいた強さは生み出され、恐れや不安などあらゆる負の存在が払拭された何にも束縛されることのない真実の姿を見るように思います。

自分の内に大切で神聖な存在を見つけ、それを感じれば感じるほど清い存在でありたいと願うのは、自分自身が真実であるというその姿を、いつの時も失いたくないという思いがあるような気がします。その時、厳しいと言われる修練の数々は、どんな苦行ともなり得ません。

「求めるものはただ、神だけです。」その言葉が示すように、常に神と共にあるインドの人々、そこから生み出される神聖な世界の中では、体を動かすことも、呼吸をすることも、全ては神のためのものなのです。

(文章:ひるま)
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