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組織と悟り1

2012.05.04 Friday

悟りという本質をつかむため、教団に所属して修行を積む。これ古今東西で行われてきた伝統的な方法です。仏教において出家する、キリスト教で修道士になる、あるいはインドでアーシュラムに所属してヨーガを修行する、これらは現代では本質的には組織(教団)に所属して修行を積むということになるでしょう。

インドでは無所有・無所属の象徴のような存在のサドゥも、実際はアカーラ(僧団)に所属していたりします。
かつて私はヒマラヤで修行するサドゥからアカーラの会員証を見せてもらったことがあります。電気も水道もなく岩と氷だけの地で、見せてもらった(人工物である)許可証に少し違和感を感じた記憶があります。

組織は、実は本質をつかむため、あるいはそれを伝えるには邪魔になる存在だという考え方があります。私はそれをヨーガの師から学んだのですが、自分の中で大きな信念の一つになっています。

組織が不必要だと言っているわけではありません。たしかに基礎的な行法のやり方や基本的な知識を学ぶのに組織は最適だと思います。例えるなら学校制度がまさにそれにあたると思います。

しかし、本質をつかむというのはその先の作業になります。学校制度に例えるなら基本的な知識を学ぶというのは、小学校から大学院までの過程に例えることができます。
本質をつかむというのは、その知識を元に自ら創意工夫をし、新たな発見をしてノーベル賞を受けるようなものでしょう。

先日、ヨーガの師の講演会の司会を拝命したのですが、講演中師が「古来より本当の意味で悟った人間は組織からはなれる。西洋でいえば異端者、東洋でいえば破戒僧といわれるような人たちです。そういう人たちのほうがきちんとした瞑想をしているのは注目すべきことでしょう。」という話をしていました。

もちろん悟り(サマーディ)には段階があり、あるレベルにおいては組織に留まることもあります。また本当の意味で悟っていても、形上は組織に留まることもあるかもしれません。
しかしいずれにせよ組織とのかかわりは、以前とは変わってくるのは間違いないと思います。

実は真のヨーガ行者が生涯に弟子を2~3人しかとらないというのも、組織の問題とかかわりがあると私は考えています。伝える立場からしても組織を通してでは、ダイレクトに本質を伝えるのが難しいからです。

次回もう少し掘り下げます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902

「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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ブッダ・プールニマ(ウエサク祭)

2012.05.04 Friday

2012年5月6日(日)は、ブッダ・プールニマです。ブッダ・プールニマは、仏陀降誕の日として世界中で祝われている盛大なお祭りです。
以下に、Wikipediaよりブッダ・プールニマ(ヴェーサーカ)の記事をご紹介します[1]。

ヴェーサーカ(パーリ語;サンスクリット語ではヴァイシャーカ)は、ネパール、シンガポール、ベトナム、タイ、カンボジア、スリランカ、ミャンマー、バングラデシュ、インドネシア、インドなどの南アジア、東南アジアの仏教徒による伝統的な年間行事です。
通常は、仏陀の降誕日とされていますが、実際には仏陀の降誕日、悟りの日(ニルヴァーナ)、成仏を包括する日とされています。

ヴェーサーカの正確な日にちは、各国に伝統的な太陰暦によって変化します。テーラワーダ(上座部仏教)の国々では、満月のウポーサタ日(仏教徒の安息日;不浄な心を清める日)に行われます。中国のヴェーサーカ日は、中国の太陰暦における第4月の8日目に行われます。西洋のグレゴリオ暦では、年によって異なりますが、毎年4月か5月に行われます。

●歴史
ヴェーサーカを仏陀の降誕会とする決議は、1950年にスリランカで行われた第一回世界仏教徒連盟(WFB)の会議で採択されましたが、仏教国における当時の祭典は、各国の古い伝統に基づいて行われていました。
ヴェーサーカにおいては、世界中の仏教徒は、仏陀の誕生日、悟りの日、成仏日を含む重要な行事として祝します。インドから仏教が伝来して、多くの外国文化に同化したように、ヴェーサーカは世界各国において独自の方法で祝されています。

●ヴェーサーカの祭典
ヴェーサーカにおいては、敬虔な仏教徒や信奉者たちは、祝典のために夜明け前に各地の寺院に集合し、仏旗を掲げ、仏・法・僧の三宝を讃える讃歌を歌います。帰依者たちは、師の御御足に捧げるための花、ろうそくや線香を持参します。これらの象徴的な捧げ物は、美しい花はすぐに萎れ、ろうそくや線香はすぐに燃え尽きるように、人生は儚く短いことを意味しています。帰依者たちは、あらゆるものの殺傷を避けるために、特別な努力を行い、この日は精進料理(ベジタリアン・フード)を摂ることが勧められています。特にスリランカなどのいくつかの国では、ヴェーサーカを祝するための2日間は、酒屋や食肉処理施設は、閉店するように政府の法令によって定められています。また、意に反して捕らわれていたおびただしい数の鳥、昆虫、動物が自由の象徴として放たれます。敬虔な仏教徒の中には、簡素な白装束をまとい、八正道に対する新たな決意を胸に、一日中寺院で過ごす人もいます。

敬虔な仏教徒は、教えに基づく五戒を遵守する誓約をし、高潔な日々を過ごしていますが、特に新月と満月の特別な日には、道徳、簡素、謙虚を実践するために八正道を遵守します。

またある寺院では、小さな幼児の仏陀像を祭壇の前にまつり、花で飾りつけられた小さなたらいに水を張り、帰依者が像に水をそそぐことができるようにしています。これは、悪い業(カルマ)を洗い清め、神々や精霊の祝福のもと、仏陀の降誕を再現する象徴的な行為になります。

帰依者たちは、僧侶による説法を聴きます。この日は、国や国民の繁栄と平和を願い、僧侶たちは仏陀によって語られた詩句を詠唱します。仏教徒たちは、仏陀が説いたように、他人を信頼し、他人の信条を尊敬し、調和を持って生活することを思い起こされます。

●他の人々に幸せを運ぶ
ヴェーサーカの祝日は、高齢者、障がい者、病人のような人々に幸せを運ぶ特別な努力をする日を意味します。この日には、仏教徒は贈り物を贈ったり、奉仕活動をしたりします。ヴェーサーカは、大きな幸せや喜びの時であり、自分の欲望を満たすのではなく、寺院での奉仕活動や、仏陀の教えを世間に示すために専念する時でもあります。また、敬虔な仏教徒たちは、仏陀を礼拝するために寺院に足を運んだ信奉者たちに、軽食や精進料理(ベジタリアン・フード)を提供する腕を競い合います。

ブッダ・プールニマ(ヴェーサーカ)は、日本ではウエサク祭(または花祭り、降誕会など)として親しまれています。京都の鞍馬寺では、明日5月17日(火)にウエサク祭の行事(五月満月祭)が行われるようです。興味ある人は、足を運んで、仏陀の教えを学び、瞑想する良い機会にするとよいでしょう。

[1]Vesākha, http://en.wikipedia.org/wiki/Vesak

ヨーガの行い

2012.05.04 Friday

人として社会で生きて行くための基本となるヤマ・ニヤマに沿った行いは、それだけで人々の内に揺るがない強さと、どんなものも受け入れられる柔軟性を生み出します。ここでその教えに従いながら暮らす日々の清らかさは何にも代えがたいものであり、その行いは、心が生み出す様々な働きから自分自身を浄化する意味を持ち合わせているのだと感じます。

日々の生活において、時に、思った以上の喜びがもたらされることがあれば、どうにもならないほどの悲しみにくれることがあります。それらがいつも、神の下で大自然に包まれながら生かされている身であるということを私たちに教えるように、その神と自然の暦に従った生活が生み出すここでの日々に学ぶことは、いつの時も純粋で謙虚であり続けるということです。偉大な力の前では私たちはただ小さな存在であり、そんな私たちの行いは全て、神への捧げ物の他ありません。

だからこそ、神を思う瞬間に包まれるこの生活に浸っていると、とことんまで自分自身を浄化したくなる時があります。そして私にとってヨーガはまさにその術です。ヤマ・ニヤマという清く正しい行い、座法や呼吸法、感覚の制御によって肉体的に浄化が進んだ後は、瞑想に至るための精神的な浄化を辿ります。それは全て、神の下に至るための道でしかありません。あらゆるヨーガの行いは自分自身の浄化の他になく、それは神に近づくための準備です。

バガヴァッド・ギーターの中でもクリシュナ神は述べています。「ヨーガの行いにより、清い心で感覚を超えたところの絶対的な喜びを知れば、どんな苦もない真の自由を得る。そして何があっても、真実から離れることはない。(第6章21節~23節)」と。

行いを止めることをできない私たちは、その行いをもって神に近づかねばなりません。それはただ、心の作用に自分を見失うことなく正しい行いを全うすることであり、ヨーガは確実に私たちを導きます。

こうして生きながら、心の働きに激しく揺り動かされることがあっても、その全てが真実に向かうための学びなのだと、神の下へまた一歩近づくことができるよう、日々の行いを一つ一つ今努めています。

(文章:ひるま)

ルドラークシャ・レポート

2012.05.03 Thursday

シヴァ神の流した涙

インドの各地を歩いていると、そしてそれがシヴァ神を祭る寺院やゆかりの地であると、そこには必ずルドラークシャがあり、敬虔な信者たちが肌身離さずその数珠と共にある姿がまるでシヴァ神そのもののように存在しています。瞑想時や礼拝時の数珠として用いられることで有名なそのルドラークシャは、こうして非常に神聖な実として古くから大切に崇められてきました。

シヴァ神の流した涙であるルドラークシャは、ヨーガ行者の間でも必須のアイテムと言っていいほど欠かすことができないものです。ここヨーガの聖地リシケシも、あちらこちらにルドラークシャの数珠が並び、大小さまざまなその数珠を身にまとったサドゥやリシたちの姿で溢れています。

ルドラクシャの木そんなリシケシでも、時たまその木を見かけることがありますが、多くの人々はその姿や形などを知りません。しかし、菩提樹の実であるルドラークシャは数珠としてだけではなく、古くから民間療法の一部として人々の間で用いられてきました。その効能や働きについては、サドゥやリシたちによって秘儀に伝えられると言われています。

ルドラークシャが実をつける季節は土地や気候にもよりますが、ここリシケシではちょうどその実が成り終えたところです。この度、ルドラークシャの産地でもあるネパールの知人と共に、その神聖な実を求めて出かけてきました。


採集法

ルドラークシャの実ルドラークシャの木はまるでマンゴーの木のような姿で、非常に高くそびえ立っています。生い茂る葉っぱの間に成るオリーブのような実は濃い緑色の外皮に包まれ、その外皮を剥くと薄い緑色をした果肉が出てきます。

生の果実はこのように鋭い棒などを使って削っていきますが、水分を多く含んでいるため、なかなか溝ははっきりとでてきません。青臭く、舐めてみたところ非常に渋みの強いその実は、削り続けると中心に硬い珠が存在し、それが数珠として用いられるルドラークシャ・ビーズになります。


若々しいルドラークシャ・ビーズ採集した直後の濃い緑色のルドラークシャと、生の実を削り出てきた中の珠。3つの珠の中で中央のものは木から落ちてしばらく経過していたため、少し色が濃くなってきています。削った果肉は後にご紹介する民間療法の中で用いられます。

濃い緑色だった果実は採取された後、1週間ほど置くと乾燥が始まります。濃い青色へと変化すれば中の珠は取り出しやすくなり、きれいに果肉が剝された後は、マスタードオイルなどに浸され乾燥を防ぎ、数珠としての姿に変わっていきます。


ルドラークシャの姿

ルドラークシャを語る中で欠かせない「面(ムキー)」は、珠にいくつの溝があるかで決まりますが、生の果実を剥いて出てきたものは3面(3溝)のルドラークシャでした。一本の木から採れる実は、それぞれ面数の異なるものが混同しています。非常に稀でコレクターの間では高価な値段でやり取りされる1面のルドラークシャも、一本の木から何千個と採れたとしても、その中に含まれているかは誰も分からないそうです。

ルドラークシャの効能

ルドラークシャの果肉ルドラークシャは身につけるだけで、心身のあらゆる不浄なものが浄化されると伝えられています。ルドラークシャの真偽を確かめるために、銅の硬貨の間に置くと僅かに動くなどという説も伝えられるのは、ルドラークシャが電気エネルギーの特性を持ち合わせているからだと言われ、その特性が様々な疾病に大きな効果をもたらすとも言われています。
電気エネルギーの特性を持ち合わせるルドラークシャの効能でまず伝えられるのは、血圧の正常化や精神状態の安定化などです。それは数珠として身につけられた時、身体にその電気的特性が伝わるからだと言われます。その他にも民間療法として用いられる方法は非常に多く、今回はそのいくつかをご紹介します。


民間療法

・頭痛…ルドラークシャと乾燥しょうがのペーストをおでこに塗る。
・あらゆる眼病…ルドラークシャの実をローズウォーターに浸したものを目薬として点眼する。また、日の出の時間にルドラークシャの実を見つめ、少しの間まぶたに当てることで視力の回復に。
・心臓の病…ルドラークシャの実をにんにくと共に一晩浸した水を取り続ける。
・慢性的な咳や肺炎…ルドラークシャとトゥルシーのペーストを合わせたものを胸に塗る。
・消化器官…ルドラークシャのペーストと生姜のしぼり汁を混ぜたものは消化を助け食欲を増長させる。
・血圧…ルドラークシャを一晩浸した水を早朝、空腹時に飲むと正常値に近づく。
・コレステロール…ルドラークシャとにんにくを牛乳で沸かしたものはコレステロールを下げる。
・皮膚のシミ…ルドラークシャとサンダルウッドの粉末を混ぜたものを塗り続ける。
・水ぼうそう…ルドラークシャとニームのペーストを蜂蜜と混ぜ、塗りこむ。

民間療法で用いられるルドラークシャの果肉※ルドラークシャの実の古さや状態によって変化が生じるため、実際に民間療法で好まれる実は、アムラの実(インドスグリ)の大きさになってから3年ほどが良いと言われます。

これらは、ルドラークシャをよく知る知人から伺ったほんの一部の療法です。ネパールの山岳地帯出身の知人は、小さい頃からルドラークシャの木に囲まれて過ごし、神聖でありながらもその存在はとても身近で親しみ深いものだと口にします。


その神秘性

ルドラークシャがこれほどまでに多くの疾病に利用され、価値あるものとして崇められてきたのには、古くから人々がシヴァ神の流した涙として祈り続けてきたことが大きいと、その神聖な実と共に過ごしてきた知人は口にします。

聖なる河であるガンジス河から遠く離れている時、ルドラークシャの実をつけておいた水で沐浴をすることは、そのガンジス河の水で沐浴をすることと同じ効果があるとも言われるほど、人々の神を信じる想いが強く込められていることが伺えます。

科学的にルドラークシャの持つ電気的特性が証明されたとしても、古い時代から人々の想いや祈りが込められたこの神聖な実は、その強いエネルギーを内に秘めています。アーユルヴェーダや古来の伝統的な民間療法が深く根付くインドでは、目に見える効果よりも、目には見えない神秘的でスピリチュアルな力を強く信じます。

祈りや想いのエネルギーというものは、想像以上に強いものです。目には見えないものであるが故、時に謎めいたものに捉えられることがあっても、物質に汚されずその精神が豊かであった時代に人々が学んだ知恵こそ、純粋でいて確かなものはありません。

その実を心から大切に手にする知人の姿を見ていると、信じる心が生み出すその深い精神性は何にも勝る特効薬なのだと感じてなりませんでした。世界の至福を願って瞑想を続けたシヴァ神の目から流れ落ちた涙は、今この時代にも人々によって祈られ守り続けられています。

(文章:ひるま)

バガヴァッド・ギーター第4章第32節

2012.05.03 Thursday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

एवं बहुविधा यज्ञा
evaṁ bahuvidhā yajñā
エーヴァン バフヴィダー ヤジュニャー
このように多様な祭祀が


evam【副詞】このように、こんなふうに、そんなふうに
bahuvidhās【男性・複数・主格 bahuvidha】多くの種類の、多様の、種々の
yajñās【男性・複数・主格 yajña】[~らは、~らが](祈祷または讃歌をもってする)崇拝;祭式の儀礼、祭式

वितता ब्रह्मणो मुखे ।
vitatā brahmaṇo mukhe |
ヴィタター ブラフマノー ムケー
ブラフマンの口において繰り広げられた


vitatās【男性・複数・主格 vitatavi√tanの過去受動分詞】広げられた、広い
brahmaṇas【中性・単数・属格 brahman】[~の、~にとって]聖智に満ちた者、婆羅門;祭官とくにヴェーダ祭式を総監する祭官;ブラフマンを神格化した最高神、梵天、宇宙の創造者として保持者ヴィシュヌおよび破壊神シヴァとともにトリムルティを形成する神格;理性
mukhe【中性・単数・処格 mukha】[~において、~のなかで]口;あご;顔;(獣類の)鼻口部、(鳥の)くちばし;方向、方位;出口、入り口;前部、先端、尖端、(矢の)頭;刃;表面、頂上、上部

कर्मजान् विद्धि तान् सर्वान्
karmajān viddhi tān sarvān
カルマジャーン ヴィッディ ターン サルヴァーン
これらすべては行為から生じると知れ


karmajān【男性・複数・対格 karmajān】行為より生ずる、行為に原因する
viddhi【二人称・単数・パラスマイパダ・命令法 √vid】[あなたは~せよ]知る、理解する、気付く、学ぶ
tān【男性・複数・対格、指示代名詞 tad】[~らに、~らを]これ、あれ、彼
sarvān【男性・複数・対格 sarva】すべての、一切の、あらゆる

एवं ज्ञात्वा विमोक्ष्यसे ॥
evaṁ jñātvā vimokṣyase ||
エーヴァン ジュニャートヴァー ヴィモークシャセー
そのように知って、あなたは解放されるだろう


evam【副詞】このように、こんなふうに、そんなふうに
jñātvā【絶対分詞 √jñā】[~して、~してから]知る;~を察知する、~の知識を有する、(具格)によって認識する;悟る;覚える、経験する、確かめる、調べる;是認する;~と考える、~と仮定する、~と推測する;認める、証す、許す
vimokṣyase【二人称・単数・未来・受動分詞 vi√muc】[あなたは~されるだろう]離す;束縛を解く、解放する;釈放する、救う、救助する

एवं बहुविधा यज्ञा वितता ब्रह्मणो मुखे ।
कर्मजान्विद्धि तान्सर्वानेवं ज्ञात्वा विमोक्ष्यसे ॥३२॥

evaṁ bahuvidhā yajñā vitatā brahmaṇo mukhe |
karmajānviddhi tānsarvānevaṁ jñātvā vimokṣyase ||32||
このように多様な祭祀が、ブラフマンの面前で繰り広げられている。
これらすべては行為から生じると知りなさい。そう知ることで、あなたは解脱するだろう。


いままで述べられてきた12種類の祭祀は、もたらす結果もさまざまです。しかし、最終的には、ブラフマンという同一の目的に導かれます。「すべての道はローマに通ず」という諺のように、この詩節では「すべての行為はブラフマンに通ず」ことが説かれています。
しかしながら、祭祀は、ある特定の願望(欲望)に基づいて行われます。そのため、行為はあくまでブラフマンに至るための手段であることに注意しなければなりません。
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